やわらかなタッチで描かれた動物や恐竜など…。
大きなキャンバスに所狭しと並ぶ、今にも動き出しそうな生き物たち。

「細かさと配色の良さにただただ感銘を受けています」
「色彩がすごく純粋で美しい」
「彼女が自分の気持ちを表現することによって、みんながそれを受け取ったり、自分なりの希望をもったりすることができる。そういうものを与えてくれる絵じゃないかなと思います」

動物たちが集まるあたたかい絵を描いたのは、田中翠恵さん(29歳)。
長岡市に住む自閉症の田中さんにとって、絵はコミュニケーションの手段でした。
しかし、今は“生きがい”となっているのです。

ひとたびペンを握れば、オリジナルキャラクターや大好きな動物を、下描きなしで描いていきます。

展覧会会場の公園内を走るバスにも、田中さんの絵が描かれています。

「園内を走るバスで、多くの人に私の絵を見てもらえれば…」

新潟県長岡市に住む田中翠恵(みえ)さんは、5歳の時に自閉症と診断されました。

【田中さんの母親・琴恵さん】
「ちょっと些細なことでもあると、パニックでキャーと泣いたりして…」
「本人がどう考えているかも分からない状態だった」

翠恵さんにとってはじめは、コミュニケーションの手段だった絵。
そして3歳の時には、アクリル画を描いたり絵本をつくったりと、本格的な創作活動を始めました。

「特別な才能っていうわけじゃなくて、『伝えたい』っていう本人の内面の、そういう部分が絵に出ていたのかなって私は思っていて…」

そんな田中翠恵さんでしたが、高校に入ると自閉症とは別の障害に悩まされるようになります。

「場面緘黙症になって…。高校で新しい環境になって突然、声を出すのをやめたんですよね、治らないってずっと思っていました」

「私は、小中学校までは、日直や発表の大事な時だけ小さい声で話すことはできました。しかし、高校入試の面接で、話をすることができなくなりました…」

筆談やジェスチャーなどで自分の気持ちを伝えていた高校時代。
悪気のない周囲からの言葉が重くのしかかりました。

「周りの人達は どうして話さないのかと聞いてきました。そのことでますます 場面緘黙症の症状が酷くなりました」
「『私もみんなと仲良しになりたいな~』、昼休みはいつも思います」

家族以外との会話ができない状態が続くなか、田中翠恵さんは22歳でグループホームに入所。そこで担当の職員から“電話での連絡”を提案されます。
これが、場面緘黙症を克服する転機となりました。

すると徐々に、電話であれば人と話せるようになったのです。
そのうち、近所の人と直接会話することができるようになりました。

そして、高校の時は話せなかった友達とも仲良くなり、25歳で場面緘黙症を克服したのです。

それ以来、話すことが苦手な翠恵さんのコミュニケーション手段だった絵が、“生きがい”に変わったのです。

「絵は、生きがいと成長ですね。絵がだんだん進化しているってのを、みんなに見てほしいなって思いが…」

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