歌手で俳優の中山美穂さんが亡くなりました。数々のヒット曲やドラマで多くの人に愛された中山美穂さん。54歳、早すぎる死に悲しみが広がっています。

■14歳でデビュー 国民的アイドルに

生まれは長野県。1982年に原宿でスカウトされ芸能界に入りました。1985年、14歳の時に『毎度おさわがせします』で俳優としてデビューしました。『ママはアイドル!』『すてきな片想い』『もしも願いが叶うなら』など、主演作は軒並み高視聴率を連発。人気は全国に広がりました。

そして、歌手デビュー。

ナレーション
「人気ドラマ『毎度おさわがせします』のあのおきゃんな子、きらりと光る大きな瞳が印象的な中山美穂ちゃんが歌手としてもデビューすることになりました」

デビュー曲『C』は、作曲・筒美京平さん、作詞・松本隆さんのゴールデンコンビ。

街の人は
「自分の人生で、その名前が頭から消えたことが1回もないくらい、インパクトがあった方。友達は大ファンで、遊びに行くと部屋中にポスターが貼ってあった」
「『ママはアイドル!』というドラマが好きで毎週楽しみだった。雑誌によく出ていた。友達と見たりして、一緒にめくって可愛いねって」

『色・ホワイトブレンド』『ツイてるねノッてるね』など、時代のアイコンとして竹内まりやさんや、角松敏生さんなど実力派ミュージシャンたちの曲に命を吹き込みました。

松田聖子さん、中森明菜さん、小泉今日子さんの少し後輩、“みぽりん”と愛された圧倒的な存在感。『世界中の誰よりきっと』『ただ泣きたくなるの』『幸せになるために』などでは作詞家としての一面も見せました。

■映画でも活躍 小説家デビューも

銀幕でも輝きを放ち、主演女優賞を次々受賞したのは、岩井俊二監督の『LoveLetter』です。

中山美穂さん(当時25歳)
「私は映画があまり好きではありませんでした。ステージやスタジオと違って、スクリーンはすごく遠くて高くて。デビューしてからの私の10年間は『LoveLetter』にたどり着くための長い長い旅だったと思う。『1人の役がどれだけ重要であっても、それは全体の一部にすぎない』今はその言葉を大切に抱きしめています」

しなやかな表現は小説の世界でも。

中山美穂さん(当時27歳)
「歌でデビューした時と、デビューする前の日と同じような気持ちでドキドキしました。言葉というのは自分の内側から出てくるものじゃないですか。本当の体験ではないが、思い込んでしまっている悪い夢とか、そういうのが時々浮かんでくるので、消してあげようと思って外に出した」

2000年代に入るとフランスに移住します。

中山美穂さん(当時39歳)
「将来のことを考えてとか色んな要素があったとは思う。タイミングとか、その瞬間に行ってしまわなければいけないと、色々積み重なったんだと思う」
(Q.本当に主婦をされている)
「はい」

それでも続けてきた演技の仕事。今年も舞台で新たな挑戦を続けていました。

中山美穂さん(当時53歳)
「素晴らしい作品に出会え、精一杯頑張りたいなと。初めてのことがとても多い作品で、空を飛んだりしているのも見せどころかなと思っています」

今月6日に予定されていたのはビルボードライブ大阪でのコンサートでした。

ファン
「会場に来てから分かりました。デビュー当時から大ファン。ずっと応援してきたけれど、本当に残念」
「もう言葉がないです。私の中でずっと美穂ちゃんは永遠なので。美穂ちゃんの分も頑張って生きていこうと思います」

長年のファンに「また全国ツアーをしたい」と話していたといいます。

5日午後11時過ぎまでは、事務所スタッフとメッセージのやり取りをしていました。6日午前9時ごろ、乗る予定だった新幹線の時間に現れず、連絡が取れないことから、スタッフが自宅を訪れました。そして、浴室にいるのを発見。死亡が確認されました。家の鍵は閉まっていて、警視庁などはヒートショックで亡くなった可能性もあるとみています。

ファン
(Q.一番思い出に残った曲は)
「『Sea Paradise〜OLの反乱〜』とか」
「『遠い街のどこかで…』」
「やっぱり歌とかよくまねしました。『You’re My Only Shinin’Star』とか」

中山美穂さんとともに『You’re My Only Shinin’Star』を生んだ角松敏生さんのコメントです。

ミュージシャン 角松敏生さん
「突然の訃報に接し深い悲しみの中にいます。中山美穂さんとは80年代に一緒に仕事をさせていただいて以来、お会いしていませんので私の中の中山美穂さんは10代のままです。音楽が大好きで努力家だった記憶があります。改めて中山美穂さんの遺した多大なる功績を讃えるとともに、心から哀悼の意を表します」

中山美穂さん
(Q.一番好きなフランス語は)
「C’est la vie『これが人生』」

■冬場に要注意『ヒートショック』

中山さんが亡くなった原因の1つとして考えられているのが『ヒートショック』です。

特にこの時期、お風呂場で注意が必要です。脱衣所や浴室といった寒いところから、熱い湯船、逆に熱い湯船から寒いところへ移動すると、急激な温度変化で血圧などが大きく変化します。

これによって血管や心臓に大きな負担がかかって、心筋梗塞などの危険性が高まります。特にお風呂から出る時が危険だと指摘されています。

▶「報道ステーション」公式ホームページ

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。