いわゆる“前世”を持つアイドル
東大、東大院を修了。大手銀行に就職して約4カ月で退職、専業アイドルとなった雲丹うにのキャリアは異色だ。
大学時代に「友だちを作りたい」として、アイドルのコピーダンスサークルに入ったのが分岐点になった。
直近でも、クイズ番組『ネプリーグ』や、芸能人がテストに挑む『呼び出し先生タナカ』など、地上波の人気テレビ番組に相次いで出演。
ソロタレント“雲丹うに”として、忙しない日々を過ごす。
しかし、彼女のホームはテレビではない。ライブハウスを中心に活動するグループ「Mirror,Mirror」のステージだ。
グループの結成は2021年夏で、2022年1月にお披露目。雲丹自身のキャリアとしては2組目で、アイドル界隈でのいわゆる“前世”を持つ。
キャリア1組目では、軽い気持ちでプロのアイドルの世界へ飛び込んだ。しかし、現在の「Mirror,Mirror」では“ガチ”でステージに。
ただ、飛躍の背景にある「東大卒」の肩書きを名乗るのは、当初「嫌だった」という。
その真意とは、何だったのか。
超名門校を卒業した両親のもとで、一人娘として育った雲丹。
生い立ちの詳細は、本稿の関連記事「「東大→東大院」アイドルの"超壮絶すぎる青春"」で紹介している。
小学校時代には中学受験に挑戦。
進学校へ入学してからは部活にも入らず猛勉強に励み、誰もが経験するであろう「青春」を味わってこなかった。
中高一貫校での6年間、1浪時代の1年間。のべ7年間にわたり、東大合格のためにと一心に勉強。
東大進学後にようやく、自由を謳歌できるようになった。
前グループの空中分解を経て「Mirror,Mirror」に
アイドルの世界に飛び込んだのは、東大の2年次だった。
ふと「団体生活を経験していないのはヤバい」と思い、アイドルのコピーダンスサークルに加入した。
運動が苦手なため「体育会系のサークルはムリだ」と判断し、代わりに「かわいいモノやかわいい子には興味があるし、かわいいダンスならばできるかも」と考えての決断。
大変さはあったが、中学から高校にかけての部活で「周りのみんなが味わってきた青春はコレだったんだ」と感じ、ステージへ立つ喜びを知った。
サークルの当時はAKB48、乃木坂46、Juice=Juiceなど「幅広い方々をコピーして」と回想(撮影:梅谷秀司)サークルは4年次に卒業。再びの転機は、東京大学大学院農学生命科学研究科への進学後に訪れた。
大学院の1年次にふと周囲から、セルフプロデュースでアイドルグループを立ち上げる話が舞い込み、再びアイドルのステージに。
ほんの軽い気持ちで加入を決心し、メンバーの1人“UNI”として活動。
しかし、グループ内の「ゴタゴタ」により、わずか「8カ月ほど」で、空中分解するかのように「解散」してしまったという。
内心では「これが最後のアイドル経験になるのは嫌だ。もう一度、チャンスがあれば」と願っていた。
そのさなか、大学院の2年次に知人経由で舞い込んできたのが「Mirror,Mirror」立ち上げの話だった。
すぐに「人生初のオーディション」を受けて、合格。2021年夏のグループ結成後は、大学院と並行して歌やダンスのレッスンに励んだ。
2022年1月にあったお披露目のステージでは、ライブアイドルとしての先輩にあたる二丁目の魁カミングアウト、クマリデパートらと共演。
空中分解を遂げたキャリア1組目とは「格が違う」と痛感し、アイドルに対して“ガチ”になった。
それ以降、ステージからは客席へ熱視線を。
自身のメンバーカラーである“白”のサイリウムを持たないファン、いわゆる“推し”でないファンとも「必ず目を合わせられるように」と意気込む。
キャリア1組目の空中分解を経て、2組目の「Mirror,Mirror」へ。2021年夏のグループ結成後、就職活動をしていたとは驚く。
当時は大学院の2年生で、卒業後は「アイドルを本業に」と願っていた。
それでもなぜ、就職活動を“せざるをえなかった”のか。
たどってみると、その流れと心中はやや複雑だった。
「母はいつ私を認めてくれるのか」とポツリ
東大院修了を半年後に控えた、2021年夏だ。
一人娘の将来を案じたのか、雲丹の実家では「史上初の家族会議」が開かれ、母が「あんた、就職どうするの?」とつぶやいた。
厳しい両親のもとでは、アイドルとしての活動は「内緒」にするしかなかった。家族会議の空気は重く、返す言葉もない。
当時は結局、観念して「いったん就職して、行方をくらまそう」と決意したという。
しかしいざ、就職活動をしようにも「秋採用」を狙うしかなく、候補となる企業数は多くない。
そこで「東大卒、東大院卒の肩書が重宝されそうな有名企業」にしぼって「3社」だけエントリーした結果、大手銀行の内定を得た。
2022年1月には「Mirror,Mirror」がステージでお披露目されて、3月には東大院を修了。4〜7月までは、銀行員とアイドルを“兼業”した。
その後、銀行を退職直前に「ギリギリもらったボーナス」も使い、願いどおりの一人暮らしを叶えて、親元を離れた。
銀行退職後に「アイドル一本で生活できるほど」の収入を得ているとは驚き(撮影:梅谷秀司)ただ、地上波のテレビ番組にも出演する現在となっては、両親にアイドルの活動が“バレて”いないのかは気になる。
尋ねると、父は「応援」しているそう。
実は、銀行を退職した当時、雲丹の父は「もっといい生き方があるはずだ。東大へ行ったんだし」と難色を示していた。
しかし、たまたまテレビで雲丹の活躍を見た父の同僚が、父をライブに誘ってくれたのをきっかけに、今では活動を温かく見守ってくれるようになった。
ただ、「母は応援してくれているのかな……」とつぶやく。加えて「連絡を取っていないし、私の活動を見ているかも知らない」と吐露。
実家で暮らしていた当時、現在の真っ白な髪色にして「『ご近所さんに顔見せできない見た目』にするのはやめなさい」と諭されて以降、会話をした記憶は「ない」という。
母は今、何を思っているのか。察するしかできないが、雲丹は「いつになれば、私を認めてくれるのか」とポツリ。
それでも、育ててくれた感謝は心の中にずっとある。
母も応援してくれていると信じて、現在は、地上波のテレビ番組でソロタレントとしても活躍するほど、活動は順調だ。
背景には「東大卒」「東大院修了」という、誰もがうらやむ肩書があるのも明らか。
しかし、雲丹自身はプロのアイドルとして、ステージに立ちはじめてからしばらくは、肩書を誇示していなかった。
「学歴は努力の結果」と悟って前面に
東大院の1年次、キャリア1組目のグループに在籍していた当時は、東大卒の肩書によって「ミーハーな人たちがたくさん来たら、嫌だ」と思っていた。
「東大のフィルター」はなしで見てもらいたい。あくまでも勝負するのはパフォーマンスで「アイドルにしては、頭の回転が速い」と驚いてもらいたかったという。
しかし、現在では「グループのためになるなら」と心境は変化。
「学歴は努力の結果」と悟り、前面に出している。グループの特典会では、地頭のよさから「話せば面白そう」として、足を運んでくれるファンもいると喜ぶ。
活動の拠点は「Mirror,Mirror」のステージ。テレビ出演も「動員に繋げたい」と願う(写真:カネコシュウヘイ)活動の幅が広がるにつれての苦労も。
ステージではリラックスした表情で愛嬌をふりまくが、テレビ出演では「緊張」も絶えない。
ただ、慣れない環境だけが理由ではない。そこにも、育った家庭環境が影響しているのは、雲丹らしいと思える。
東大合格を目指していた中学校時代、高校時代は、実家で「ニュース番組と、自然の風景を流す番組しか見られなかった」と回想。
当時は、学校で友人が「月9が〜」と話していても「何のこと?」と聞き返すほどで、バラエティ番組などは「ほぼ見てこなかった」という。
ただ唯一、水曜日の夜だけはチャンスが。親が趣味のヨガへと出かけている間だけは『クイズ!ヘキサゴンII』と『はねるのトびら』を見られた。
とはいえ、両親の「下品な笑いが好きじゃない」との持論を理由に「みんなが当たり前に知っているテレビ番組」を見ずに過ごしてきた、青春時代の“ブランク”も。
テレビ出演時には「失礼ながら、共演者の方がわからないときもあって……」と苦笑する。
はたから見れば“超温室育ち”で、青春時代のバラエティ番組にほとんどふれてこなかった雲丹が、芸能人として知名度を高めつつあるのは数奇だ。
しかし、その純粋さも、彼女ならではの持ち味といえる。
自身で「向いている」と胸を張るアイドルとして、ソロタレントとして、その未来はきっと明るい。
*この記事の前半:「東大→東大院」アイドルの"超壮絶すぎる青春"
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