エマニュエル・トッド氏(写真提供:朝日新聞社)「世界最高の知性」の一人と言われるエマニュエル・トッド氏。「ソ連崩壊」から「金融危機」まで数々の歴史的出来事を予言してきた彼は、近年、急激な発展を見せている生成AIとどのように向き合っているのか。技術という暴走列車に乗り込んだ私たち人類はいったいどこへ向かっているのか。『人類の終着点 戦争、AI、ヒューマニティの未来』(朝日新書)に収録されたトッド氏の新たな予言を公開する。

人工知能によってもたらされた「知性の劣化」

――テクノロジーの話題に移りたいと思います。2020年代、世界で最も大きな変化の一つは「人工知能の進歩」でした。2022年のChatGPTに代表されるようなAIの登場は世界中に急速に広まり、インターネット上に蓄積された膨大な英知を活用して、私たちに瞬時にアイデアや解決策を提供してくれるようになりました。あなたはそれを試してみたことがありますか。また、どう感じましたか。

エマニュエル・トッド:私も試しました。これについて、私は、フランスの新聞『マリアンヌ』にも記事を書きました。そのときの質問に返ってきた答えはとても面白いものでした。

質問は、このように始めました。「エマニュエル・トッドは、本当に親ロシア派なのか?」と。フランスでは、私は「親ロシア派だ」と非難されているからです。

ChatGPTから返ってきたのは、とても良い、至極普通の答えでした。「〝そうだ〞と言う人もいます。しかし、彼は独立した知識人であり、彼の意見は個人的なものです。まずはクレムリンにまったく依存していないと証明する必要がある」と。良い答えだと思いました。そして、私の身に覚えがない発言もいくつか付け加えてきました。つまり、真実ではない要素も含まれていました。

それから、私の研究分野である家族システムなどについても質問しました。そしてそのときに、ChatGPTでどのようなものが得られるか、について正確に理解できました。

私は「ChatGPTは非常に一般的で、かなりしっかりした答えが得られる」と最初の印象を抱きました。そして次に気づいたのは、得られた答えが基本的にウィキペディアにあるような平均的なものであるということです。

その答えはウィキペディアにあるバイアスをもすべて再現します。家族制度研究の分野で見られる標準的な間違いも完全に無批判に再現しました。つまり、基本的かつ平均的知識は得ることはできますが、その知識は非常に不完全です。これに加えて、イデオロギー的な先行事項――英米の世界でジェンダーや性別などについて見られるような特定の事柄――が加わります。たしかに得られる答えは、技術的な観点から見ると、感動的なものかもしれません。

しかし、研究者の立場から見れば、ChatGPTは数秒で平均的な研究者より少し程度の低い答えを出します。つまり、知識としては、やや後進的な段階なんです。私の推測では、世界中の誰もがChatGPTを大量に使用することで、見かけ上の加速は生まれると思います。しかし、実際には減速です。それは研究を減速させるからです。

人工知能に世界中が熱狂しているのは知っています。人工知能が私たちの生活を変えるということですね。そうです、ChatGPTは私たちの生活を変えるでしょう。でも、それは良いことでもなければ、最悪なことでもないのです。しかしもし、ChatGPTが存在しなかったら、私たちはより悪い状況に陥っていたことでしょう。

そして、私がとくに興味を惹かれるのは、人工知能の話がこのタイミングで出てきたことです。今の時点で西洋世界には、生まれつきの知能の低下が見られます。欧米諸国、とくにプロテスタント諸国では、IQが低下しており、高等教育の水準もどんどん下がっています。私が今話しているのは西洋のことです。インドのような国のことではありません。

生まれつきの知能の低下と人工知能の出現が組み合わさって、生来の知能は劣化版となりつつあります。むしろ「悪化版」と言ったほうがいいかもしれません。しかし、これは非常に個人的な見解です。これは私の研究のメインテーマではないからです。

人類には、「歴史」の感覚が必要である

――もしAIが人間の知性を抑圧したり劣化させたりするものだとしたら、AIが進展した世界の人間社会はどうなっていくでしょうか。また、私たちが追い求めたいと願う、自由で民主的な世界の実現はより困難になると思いますか。

どう言えばいいのでしょうか。でも何よりもまず、私たちは謙虚でなければいけません。

私たちは「歴史とは何か」という感覚を取り戻さなければなりません。西洋思想や標準的な西洋イデオロギーの中心的な問題点の一つは、歴史意識の驚くほどの低下です。

私たちは、もはや長期的な視点で物事を考えなくなりました。「自分たちがどこから来たのか」「何を生き延びてきたのか」「何を成し遂げてきたのか」といったことを考えるのをやめてしまいました。

ある種の健忘症のようなもので、おそらく第2次世界大戦以降の貧困状態から裕福になったことのショックが容赦ないほど大きすぎたのでしょう。

まさしく、インターネット通信が可能で、豊かな都市生活への移行はショックが大きすぎました。そのため、私たちはかつての自分たちとの接点を失ってしまったのです。

自由民主主義のような概念は、過去について私たちが思い出す最後のものです。民主主義に向けて出発した国々であるアメリカ、フランスなどに住む人々はナチズムを完全に忘れてしまいました。ロシアの真の全体主義となった共産主義などについても忘れてしまいました。

すべて忘れ去られてしまいましたが、私たちはこれらすべてを生き延びてきました。そして今、私たちはおびえています。「民主主義が崩壊しつつある」あるいは「すでに崩壊している」という感覚があるからです。私たちはみなしごのようになってしまったのです。

たとえ「民主主義」が終わろうとも

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でも実際のところ、人類の歴史全体を見れば――偉そうに聞こえたり、人間の苦しみに無関心に聞こえたりしなければいいのですが――人類の歴史のほとんどは、民主主義ではありません。民主主義の後にも人生があるのです。その人生が何であるかはわかりません。

新しい何かが現れるでしょう。アメリカにとっては恐ろしいものかもしれません。しかし、世界の他の国々にとっては、むしろ楽観的な未来がやって来るかもしれません。

先進国の出生率の低さは本当に恐ろしく、私にとっては気候危機よりも恐ろしく感じています。というのも、先進国の人口の減少は人間の知性の低下にもつながるからです。

人は知性の担い手です。しかし、この部分には、私の姿勢におけるパラドックスがあります。将来における恐ろしい要素を指摘はしますが、私は悲観していないのです。

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