新潟市で90年続く老舗みそ蔵の話題です。
東日本大震災を経験した岩手県出身の4代目は、2023年になって創業当時から使い続けた釜が壊れるという大ピンチに直面。そこで決断した新たな挑戦とは…?
新潟市南区のみそ蔵・『糀屋団四郎』の4代目、藤井寛さん・康代さん夫婦は、先代である康代さんの父から90年続く蔵を4年前に引き継いだ2人です。
ところが2023年、創業以来最大のピンチに直面しました。
【寛さん】
「本来あそこに大きな和釜があったんですけど、それが壊れてしまって…」
大豆を煮るための大きな「和釜」。
この和釜で煮ることで、大豆の旨味たっぷりのみそに仕上がるといい、初代がみそ造りを始める際に中古で手に入れたものを、これまで90年にわたり大切に使い続けてきました。
ところが2023年11月になって、とうとう寿命に…
【寛さん】
「手の小指の爪程度の穴が開いてしまって…。場所が釜の中盤当たりだったので、前回の仕込みは穴よりも下の位置に上限を決めて、少量の仕込みで回数をこなしてどうにかしのぐことができましたけど、次の年からは同じことはできないなと」【康代さん】
「今ここにない、っていうのが不思議な感じで。生まれたときからあったので…。ずっとうちの味の要だったんですね。"和釜製法"っていうのが珍しいので」
和釜のメーカーも今ではほとんどなく、「団四郎」と同じ伝統的な和釜製法をとる蔵でも、新しく手に入れること自体困難な状況だということです。
康代さんは一時、和釜をやめて一般的な釜に変えることも考えたといいますが、それを止めたのは寛さんでした。
【寛さん】
「仮によそと同じようにボイラーで大豆を処理するようなやり方を採ったら、そんじょそこらのみそ屋さんと同じになってしまう。うちらは“昔ながらの”っていうのをずっと大事にしているんだから…」
新潟市南区のみそ蔵・『糀屋団四郎』の4代目である夫の寛さんは、岩手県陸前高田市の出身です。
じつは、実家は180年の歴史を持つ『和泉屋本店』というみそ蔵。
寛さんは8代目として父の跡を継ぐ予定でした。
父と祖母を亡くし、住む家も、大切な蔵も失いました。
蔵の再建も叶わず、みそ造りを諦めかけていた2019年、再び人生を変える出来事がありました。
【寛さん】
「康代さんのお母さんから突然電話が入って来まして…。『もしよかったら新潟に来てみそを一緒にやりませんか?』と」
大学で醸造を学んでいた頃からの友人だった寛さんと康代さん。
学生時代に、寛さんが『団四郎』へ研修に来た縁もあり、当時、闘病中だった康代さんの母・和代さんが、寛さんに娘の結婚相手として新潟へ来てほしいと電話をかけたのです。
その運命の電話から半年後に2人は結婚、5年の月日が経ちました。
"和釜製法"を貫くことに決めた2人は、肝心の和釜を作ってくれるメーカーを探し回りました。
そして辿り着いたのは、なんと岩手…。
【康代さん】
「寛さんのふるさとと同じ岩手のメーカーに和釜をお願いしたから、さらに立派な釜が来てくれるということで、楽しみ」
【寛さん】
「次の100年に向けて、という思いで」
作ってもらうのは直径1.2mの特注品。
さらに、釜を支える「かまど」の補修も必要ということで、およそ700万円という高額な費用がかかることに…。
そこで考えたのがクラウドファンディング。
300万円を目標に今月20日にスタートさせたところ、わずか1週間で170万円が集まるほどの大きな反響がありました。
取材に伺ったこの日は、1年間の熟成を経た、とある"みそ"を試食する日。
【寛さん】
「実家の岩手の方で作っていたのを、記憶を辿りながら作ってみたのが、この黄色い樽…」
「正直、思っていたよりうまい」
「おいしいよね、私もそう思う」
【寛さん】
「私の記憶をたどっても遜色ないし、むしろ昔より美味しくできたかもしれない」
ふるさと『和泉屋本店』の味を『糀屋団四郎』の製法で再現した復刻みそ。
寛さんのこれまでと、夫婦で歩むこれからへの思い、が込められています。
【寛さん】
「13年もあれから経っているので、昔の味を懐かしんでくれる人が喜んでくれたらなっていう思いに尽きますね」
クラウドファンディングには多くの支援が寄せられ、2人ともその反響の大きさに驚いていました。
『団四郎』のファンのみならず、歴史を守りたいという2人の思いが多くの人の共感を呼んでいるのかもしれません。
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