パリで熱戦が続くパラリンピック、日本時間6日夕方、パラカヌーに小松沙季(こまつ・さき)選手が出場します。かつてはバレーボールのトッププレイヤーで、車いす生活になってから2度目のパラリンピック。そんな彼女は、自らの姿で「高知の人に“発信”したいこと」があります。
四万十市出身の、小松沙季選手。
熱戦が続くパリパラリンピックの、パラカヌーに出場します。競技歴わずか“半年”で出場した前回の東京大会に続いて挑む、2度目の“夢舞台”です。
Q.いまの気持ちは?
■小松沙季選手
「特に『パラリンピック前だから』という気負った感じもなく、日頃の世界選手権やワールドカップに参加するのと同じような感じで、『今できること』を淡々とこなしている感じです」
Q.前回と今回で気持ちの変化は?
■小松沙季選手
「東京の時はカヌーを始めて日数的にもまだ浅かったので、経験が。色々と“ふわふわした部分”もあったんですけど、今は技術的な面も含めて“引き出し”が増えているので、“ふわふわした気持ち”が減ってきたかなと思います」
1994年生まれの小松選手、幼いころは「運動神経があまり良くなかった」といいます。かけっこでは、いつも「一番最後」か「最後から2番目」。そんな小松選手は小学2年生の時、友達に誘われ、地元のクラブチームで「バレーボール」を始めます。
さらに、大阪の大学を卒業した後は、Vリーグの「ブレス浜松」でプレーし、リベロのポジションで活躍。
その後、引退し、大阪でバレーボールのコーチとして活動していた2019年、突如、“異変”が小松選手を襲います。
■小松沙季選手
「友人とご飯に行って、その日の夜に嘔吐・下痢をして、そこから体調を崩して…。手が痺れたり、足が痺れたり、っていうのがありながら、だんだんそれが悪化してきて、体調を崩してから2週間後ぐらいに歩けなくなって…。(当初の診断は)『ちょっとずつ回復に向かうであろう』ものだったので、『落ち込んで』とか、そういうのがあったわけではなく、リハビリを淡々として…。『これからよくなっていくんだろうな』という気持ちの方が強かったです」
しかし、1年間の入院治療を経ても両足にまひが残り、車いす生活を送ることに…。
様々なスポーツの中から、特に熱心に誘われた「パラカヌー」の世界に飛び込んだ小松選手。「車いす生活」になったからこそ、カヌーの“魅力”を感じているといいます。
持ち前の運動能力の高さで、2021年2月に競技を始めてから“半年”で東京パラリンピックに出場し準決勝に進出していて、今回も5月の世界予選で9位に入り、代表の座を勝ち取りました。
■小松沙季選手
「東京の時は『シンデレラストーリー』のような感じで(メディアに)かなり取り上げられて、タイミングや運もあったんですけど、『あれが偶然や運じゃなかったんだぞ』というのを知ってもらうためにも、パリに出場して『2大会連続で出る』というのは、かなり自分の中では『意味がある』と思っていたので、そこでなんとかパリの(出場)枠を獲得できて、東京の時に比べると、本当に感動しましたね、(出場)枠を取った瞬間っていうのは、自分の中でもかなりうれしかったです」
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