かつて泡盛や黒糖に次ぐ沖縄の特産品だった、おしゃれアイテム「パナマ帽」。この記事では、帽子づくりを次の世代に継承し地場産業の復活を目指す取り組みをお伝えしていく。(RBC「NEWS Link」で毎週木曜放送のSDGsシリーズ「つなごう沖縄」6月6日放送回)

沖縄の海岸線などに自生する植物「アダン」。

それを原料として作られるのが、「アダン葉帽」や「パナマ帽」と呼ばれる帽子だ。かつて沖縄の特産品だったものの、その後、衰退していったこの帽子を復刻させた人がいる。

新城暖(しんじょう・だん)さん。「琉球パナマハンドウ―ブン」のプロデューサーを務めていて、伝統的な手法で編まれたパナマ帽にデザインやファッション性をプラスした帽子づくりを目指している。

▽新城暖さん
「琉球パナマというものを蘇らせて、さらに進化させられるようなプロジェクトを一緒にやろうよということで、(帽子ブランドの)清原さんを筆頭に、沖縄の熟練した職人さんと手を組んで始めた」

新城さんがタッグを組むのが、帽子ブランド「メゾンバース」デザイナーの清原世太(きよはら・せいた)さん。

▽清原世太さん
「いわゆる天然草のハットというのは乾燥で割れてしまったり使えなくなったりするんですけど、琉球パナマに関しては過酷な環境で育った葉っぱということもあって、その湿度だったり乾燥にものすごく強くとても割れにくい。割れたとしても修復ができるのが最大の魅力だと思います」

新城さんと清原さんが始めたのが「琉球パナマ帽プロジェクト」。沖縄の伝統と技術を次の世代に継承し発展させようと取り組んでいる。

パナマ帽は1904年、アダンの葉を原料とした製造法が確立され、沖縄はパナマ帽の一大生産拠点となり、欧米諸国に輸出されたパナマ帽は、泡盛や砂糖に次ぐ特産品にまで成長した。

しかし産業の盛り上がりとともに、アダンの乱伐による原料不足や、日本が戦争で国際的に孤立していったことで販路を失い、次第に衰退していった。

▽新城暖さん
「アダン葉はとてもしなやかですし、すごく堅牢な素材。光沢感もあって見た目がすごい高級感が出るので、すごくいい素材だなと思っています」

現在、わずかな職人が作り続けているが、技能継承が課題となっている。

▽新城暖さん
「パナマ帽の編み手さんを方言で「帽子くまー」と言いますけど、そういう人が3万人ぐらいいたという風に文献上は言われていまして、ただもう2000年初頭で正統な編み手や継承者は3人ぐらいしかいない」


新城さんは消滅の危機にあったパナマ帽を幅広い世代に知ってもらいたいと、自身が手掛けるアートギャラリーでイベントを開催。

今回は、琉球パナマ帽のリボンの色や形、ハットの種類など全てカスタムしオーダーするというオーダー会を開いた。

パナマ帽は、採取した葉を湯がいて、干して、さらになめしてという工程を経て、ようやく編める状態になる。


▽新城暖さん
「熟練した方でも、これを1つ作るには1ヶ月前後かかってしまうものなので。それほど時間をかけて手間暇かけて作られたハンドメイドのプロダクトなんです」

イベント初日は琉球パナマ帽プロジェクトのメンバー、編み手の親川利恵さんによるワークショップも開催され、多くの来場者がアダンに触れた。

▽お客さん・少女
「(アダンの葉が)意外にツルツルしていて。ギザギザじゃなくていいな」


▽お客さん・高齢男性
「親が(帽子作りの)内職をやっていた。最近本土から越してきて、新聞で(このイベントを知って)懐かしくなって来たんですよ。どんどん輸出できるように産業を発展させてほしいなと思っています」


清原さんや新城さん、そして編み手の親川さんが手がけた琉球パナマ帽は、2022年「伝統的工芸品産業振興協会」で賞を受賞。清原さんは、琉球パナマ帽で地場産業の復活を目指している。▽清原世太さん
「最終的にはここ(沖縄)で帽子作りを完結できるような学校だったり工場をつくれたらと思っています」

歴史や伝統を受け継ぎ、今の時代に沿ったファッションアイテムとして新たな産業を目指す取り組みはSDGsの目標につながっている。

▽新城暖さん
「沖縄の琉球パナマが産業になったら、沖縄の皆さんに喜んでもらえる取り組みになると思っているので、できれば琉球パナマが後世に、例えばお子さんやお孫さんがやっていく産業、そして受け継がれていくような貴重な帽子になってくれたらなと思っていますね」

パナマ帽の展示・オーダー会、6月9日まで那覇市のアートギャラリー「HONNO PARK」で開催されている。

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