故郷・福島の復興に関わる
《芸能界から悼む声》
《出身地やロケ地でも悲しみの声》
中学校時代の担任「残念で悲しくてことばがでない」
歌手としても温かみのある歌声で知られ「もしもピアノが弾けたなら」がヒットし、紅白歌合戦に出場したほか、舞台ではミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」で通算260回以上にわたり主役を務めました。民放の人気バラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」では涙もろい「局長」として活躍するなど、庶民的なキャラクターと親しみやすい人柄が人気を集めました。2018年には旭日小綬章を受章しています。所属事務所によりますと、西田さんは今月8日、出演した映画に関する記者会見に出席し、17日も仕事の予定が入っていたということです。警視庁などによりますと、17日午後0時半すぎ、東京・世田谷区の自宅のベッドの上で倒れているのが見つかり、その場で死亡が確認されたということです。
映画「釣りバカ日誌」の公開に合わせて、2009年にNHKが取材した動画です。西田さんはハマちゃんとして、「朝起きてつらいなと思っても笑いましょう、逆に。口角を上げて」というメッセージを送ってくれました。
西田さんは俳優として活動するかたわら、東日本大震災と原発事故で被災した故郷・福島の復興に、さまざまな形で関わってきました。原発事故のあとまもなく、県内外で福島の食べ物や観光をPRする催しなどに積極的に参加し、風評被害に苦しむ生産者らの支援に力を尽くしました。また、福島ゆかりのミュージシャンなどとともに復興支援の音楽イベントに参加したり、福島県が制作したミュージカル風のPR動画に出演したりするなど、俳優や歌手としての自身の知名度を生かして故郷の現状を多くの人に伝えてきました。東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」にも、被災地ゆかりの著名人の1人として参加しています。福島県は、西田さんのこうした活動をたたえ、2018年に4人目となる県民栄誉賞を贈っています。この時の授与式で西田さんは「出身地の郡山で数多くの映画をみたことや、おおらかに育ててくれた福島の土地柄や人柄が役者としての私を支えてくれていて、福島がふるさとでよかった。これからも福島をアピールするため、元気に仕事をしていきたい」と述べていました。
西田さんは舞台では歌のうまさも生かし、ミュージカルの大作「屋根の上のヴァイオリン弾き」で森繁久弥さんの後を継ぎ、通算260回以上にわたり主人公のテヴィエ役を演じました。20世紀初頭の帝政ロシアを舞台としたこの作品で、西田さん演じるテヴィエは、貧しくも働き者で妻と娘を愛するお人好しの酪農家という役どころで好評を博しました。
西田さんが主演した映画「学校」の監督のほか、「釣りバカ日誌」シリーズの脚本も務めた山田洋次監督は「訃報を聞いて、喜劇のヒーローを演じる役者をぼくたちは失った、という喪失感の中にいます。『学校』シリーズは、企画の最初の段階から西田さんをイメージにおいていたし、彼なしには作れなかった。『釣りバカ日誌』シリーズもこの人がいなかったら、成り立たなかったはず。いくつになっても福島弁の抜けない、懐かしい人柄。小太りの肉体・響きの豊かなバリトンの声、愛嬌のある目元、ヨーロッパではこういう役者をクラウンというそうだが、あの姿がもう見られない。偉大な日本のクラウンが去ってしまったことを私は心から悲しく思っています」というコメントを発表しました。
西田さんが出演した映画「アウトレイジ ビヨンド」の監督の北野武さんは自身の公式サイトで、「西田さんの体調がよくないことは知っていたので、ずっと心配していたけど、悲しいことになってしまった。がっくりしています。本当にいい役者だった」とコメントしています。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」などで共演した俳優の綾瀬はるかさんは「また共演したかったです。大河ドラマや映画でご一緒させていただきましたが、どっしりとしているけれど、やさしく軽やかで、頼もしい大先輩でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントを発表しました。
西田さんと50年ほどの親交があり、NHKの大河ドラマ「おんな太閤記」などで共演した俳優の泉ピン子さんはNHKの取材に対し「お互い売れずにお金がないころからの、下手な夫婦よりも長いつきあいで、きょうだいのようでも友だちのようでもあります。褒めるとすぐその気になる人でしたが、明るいだけじゃなくて、捨て犬のように悲しげで寂しげな空気もある、唯一無二の役者でした。一緒に頑張って駆け上がってきたわかり合える同世代が、またいなくなってしまいました」と話していました。その上で「『もうすぐそっちに行くから待っててね』って思ったけれど、あの人は寂しがり屋ですぐ呼んできそうだから、やっぱり『あと3年は呼ばないでね』って言いたいです。再放送でも何でも西田さんのことを見かけたら、皆さん褒めてあげて下さい。褒めてもらうのが好きな人だったので、きっと喜ぶと思います」と話していました。
「探偵!ナイトスクープ」などで共演していたタレントの間寛平さんは「プライベートでは食事にも連れていってもらい、歳は2歳しか変わりませんが人間としての器が大き過ぎて僕にとっては大先輩に感じていました。西田さん、本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。
映画「釣りバカ日誌」シリーズで西田さん演じるハマちゃんを優しく見守る妻の役を演じた俳優の石田えりさんは、所属事務所を通じて「西田さんとは誕生日が5日しか違わないせいか、黙っていてもツーカーな感じで、そのまま自然に役になれた気がします。あんなに心安まる楽しい時間はありませんでした。ありがとうございました」というコメントを発表しました。
映画「釣りバカ日誌」シリーズで石田さんのあとを継いでハマちゃんの妻役を演じた俳優の浅田美代子さんは、「突然の訃報にただただビックリしています。あの元気ないつも笑顔のハマちゃんが亡くなってしまうなんて、どう信じたらいいのでしょう。三國さんが亡くなった日に、2人で献杯したね。今日は私1人献杯します。ハマちゃん、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。天国で大好きなお酒を思う存分飲んで、そちらにいる仲間と宴会を楽しんでください」というコメントを発表しました。
民放のテレビドラマで共演した米倉涼子さんのインスタグラムのアカウントには「西田さん突然の訃報に接し、言葉もありません...おととい写真をのせるからね!と話したばかりなのに。悲しすぎて悲しすぎてまだ信じられません」とするコメントが投稿されました。米倉さんのアカウントには西田さんの訃報が発表される前の17日正午ごろ、西田さんとのツーショット写真が投稿されたばかりでした。
映画「学校」で西田さんと共演した中江有里さんの「X」のアカウントには、「映画『学校』の先生。。。本当の先生のようにあたたかく接してくださった西田敏行さん。まだ、信じられないです」とするコメントが投稿されました。
福島県の内堀知事は「驚きと同時に深い悲しみを禁じ得ません。西田さんが心から愛された福島県が復興していく姿を、今後も見届けていただきたかっただけに本当に残念でなりません。人間味にあふれた懐の深い演技で多くの人々を魅了した西田さんは、県民の誇りであり、今後も私たちの心の中で永遠に生き続けることでしょう」というコメントを発表しました。
西田さんの出身地、福島県郡山市のJR郡山駅前では驚きの声が聞かれました。郡山市の高校3年生の女子生徒は「西田さんが出演していたドラマをよく見ていたので、亡くなったと聞いてとても驚いています。地元出身で、有名な方だったのでとても残念です」と話していました。会津若松市出身の80代の男性は「えっ」と一瞬、声を詰まらせたあと「本当に残念です。ずいぶん昔ですが、『西遊記』の猪八戒役が印象的で、最近も移住をテーマにした番組でナレーションを担当するなどよく拝見していたので驚いています。本当に残念でなりません」と話していました。棚倉町に住む70代の男性は「西田さんといえば『釣りバカ日誌』が好きでよく見ていました。多才で、ざっくばらんなところが多くの人に愛されたのだと思います。ご冥福をお祈りします」と話していました。
小学校と中学校の同級生は「もう少し長生きしてほしかったです」と話し、西田さんとの思い出を振り返っていました。郡山市に住む齊藤光宏さん(76)は、友人からのメッセージで訃報を知りました。齊藤さんは先月、市内の飲食店で西田さんを交えて友人たちと一緒に食事をし、4日前にはLINEでメッセージのやりとりをしたばかりだったということです。齊藤さんは「亡くなるとは想像もつきませんでした。ふるさとを忘れずに郡山に帰ってきて、友人と一緒に遊んだり話をしたりすることが彼の人生のなかの楽しい一面だったのかなと思います」と思い出を振り返りました。その上で「もう少し長生きしてほしかったですし、心に穴がぽっかり空いた感じです。西田さんのおかげでみんなとの絆が深まり、同級生で集まる機会もあったので残念です」と話していました。
西田さんが中学2年生と3年生のときに担任を務めた郡山市の菊地幹郎さん(91)は、西田さんの同級生からの連絡で訃報を知りました。菊地さんは、西田さんが所属していたバレーボール部の顧問も務めていて「学校でも目立つ存在で、テレビで見る姿のまま明るくて面倒見のよい生徒だった」と振り返りました。卒業後も交流は続き、西田さんが20代のときには深夜に家を訪ねてきて「芸能活動がうまくいっていない」などと悩みを打ち明けながら、飲み明かしたということです。西田さんは菊地さんの長女が生まれたあとにも家を訪ね、長女を抱きながら「結婚式には必ず出席する」と約束したということで、実際の結婚式にも多忙なスケジュールのなか予定を調整して出席し、祝ってくれたということです。菊地さんは「本当にショックで気持ちが動転している。残念で悲しくて本当にことばがでない」と話していました。
西田敏行さんが同級生と訪れていたという郡山市の飲食店では、「福島の顔のような方なので寂しいです」と悼む声が聞かれました。郡山市の焼き肉店によりますと、西田さんは30年ほど前から訪れていて、年に2回ほど同級生およそ10人と宴会を開いていたということです。この店のキムチを好んでよく注文していたということで、調理場には西田さんが「おいしい」と言ってくれたことを励みにしようと西田さんのサインが飾られています。
焼き肉店の二瓶学さんは「西田さんはテレビで見るままで、おしゃれでかわいいイメージで、スタッフと気さくに話をしていました。郡山と福島の顔のような方なので寂しいです」と話していました。
東日本大震災で大きな被害を受けた福島県いわき市では、福島に寄り添った西田さんに感謝する声が聞かれました。いわき市の60代の男性は「包容力や親しみのある人で西田さんのような人になりたいと思いました。突然で驚きましたが、ゆっくり休んでくださいと言葉をかけたいです」と話していました。いわき市の70代の男性は「震災以降、寄り添ってもらい、エールをおくっていただきました。いつもパワー全開で心が優しい方で、力をもらいました」と話していました。相馬市から訪れていた20代の女性は「大河ドラマ『八重の桜』に出演していた印象が強いです。もっとドラマに出演してくれるものと思っていました。福島県にもよく来ていて『福島のために活動してくれてありがとうございます』と伝えたいです」と話していました。
「釣りバカ日誌」のロケ地で、20年以上西田さんと交流があった横浜市の釣り船店でも、西田さんを悼む声が聞かれました。金沢区の「太田屋」は、1988年に公開された「釣りバカ日誌」の1作目から20年以上にわたって釣り船を提供するなど、撮影に協力してきました。おかみの太田香織さん(51)は先代だった夫の両親とともに、撮影のたびに西田さんと交流を深めていたといいます。自宅を兼ねた店舗では西田さんがこたつで休憩を取ったり、食事や会話を楽しんだりしたということで、店内には西田さんをはじめ、共演者の三國連太郎さんと一家で一緒に撮影した写真が大切に飾られています。
太田さんは「突然の知らせだったので驚きました。西田さんは親戚のおじさんみたいな存在だったので悲しいです。映画の撮影は待ち時間が長かったので、うちで釣れた魚を出すととても喜んで食べてくれました。ひと言ひと言に思いやりのあるとても優しい人でした。忙しくされていたと思うので、どうかゆっくりしていただきたいです」と話していました。
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