〈連載「取り残される人たち」検証マイナ保険証〉①  従来の健康保険証の新規発行が終了し、2日からマイナ保険証を基本とする仕組みに移行した。「誰一人取り残さないデジタル化」を掲げる政府だが、不安や戸惑いの声も聞こえる。制度移行の裏で、デジタル化の恩恵を受けられず、取り残される人たちを訪ねた。

◆母親が流した悔し涙

 大きな窓から日の光が差し込む施設の中は一見、おだやかな雰囲気だった。  軽作業をしている人、廊下に寝そべっている人、胃ろうでチューブから栄養をもらっている人、急にズボンを脱ぎ出す人…。

社会福祉法人「麦」の福祉施設で作業をする障害者ら(一部画像処理、法人提供)

 あらゆる支援が必要な人が同じ空間にいた。それぞれに求められるサービスや制度が異なることをひしひしと感じた。  10~70代の障害者約40人が通う愛知県瀬戸市の福祉施設。運営する社会福祉法人「麦」の渡辺覚理事長は「ここではマイナ保険証の利用以前に、マイナンバーカード取得に苦労している人がいる。申請が通らなかったと、悔し涙を流す母親もいた」と話す。  この日、施設に集まった障害者の母親たちの会合に記者も同席させてもらった。彼女たちの口をついて出てきたのは、カード取得への不満と怒りだった。

◆「無帽」「正面」「無背景」

 尾張旭市に住む女性(72)の長男(40)は、2020年に取得できるまで申請を繰り返した。  長男には、視覚のほか身体や知的の障害がある。女性は「写真がだめだったんです。目がまっすぐ向いてないって言われて。うちの子は視覚がないから、こっち向いてと言ってもできないのに」と説明する。

写真を理由に申請を断られ、3度目でやっと取得できたマイナンバーカードを手にする親子(一部画像処理、本人提供)

 「これ以上できません」と説明しても、市役所の人も「どうすればいいか分からない」と答えるばかり。厚生労働省に電話しても、らちが明かない。  写真を撮り直して3度目でやっと取得できたが、理由はいまだに分からない。  マイナンバーカードに載せる顔写真は「無帽」「正面」「無背景」が原則。このため女性のように、写真を理由に申請が却下される障害者が相次いだ。  障害者団体などからの要望を受け、政府は2023年3月、車いすが写り込んだり、視線が定まらない写真でも認める通知を出した。

◆そのまま送り返されてきた申請書類

 それでもカードを作れない人がいる。  同じ施設に通う身体と知的障害がある男性(46)がそうだった。母親(76)は今年10月末、「12月から現行の保険証がなくなる」と思い、男性の写真を撮って郵送申請した。

マイナンバーカード取得までの苦労を伝え合う障害者の母親たち

 書類は1週間ほどしてからそのまま送り返されてきた。「どこが悪いとも、何とも書かれていなかった。たぶん写真だけやと思うんやけど。うちの子はカメラを見てと言っても見てくれないから」と母親は困り顔だった。  カードの申請を受け付ける国の外郭団体「地方公共団体情報システム機構」の担当者に尋ねると、「通常起こりえない対応。不備がある箇所を示した通知書を入れずに送り返すことはない」と言う。  この母親は「マイナンバーカードは必須ではないと知人に教えてもらったので、もう作るつもりはない」と話す。

◆できるはずの「代理受け取り」なぜか断られ

 知的障害の息子(39)のカードを作った女性(67)は、受け取りの苦労が忘れられない。  息子は慣れない場所に置かれるとパニックを起こす。大声を出したり飛び跳ねたりするだけでなく、頭突きなどの自傷行為にも及ぶという。  昨年9月、女性は市役所の窓口で、事細かに息子が自分でカードの受け取るのが難しい訳を説明した。それでも代理受け取りを認めてもらえず、市役所の駐車場で本人が受け取ることになった。  パニックにならないように夫も仕事を休んで付き添った。「すぐ終わる」と言われていた手続きに30分かかった。「いつどうなるか、すごく心配だった」と女性は振り返る。  政府は、代理人によるカードの受け取りを認めている。この自治体は、なぜ応じなかったのだろうか。  市の担当者は「市の説明が誤っていた可能性がある」としながらも、当時の経緯は分からないという。

◆政府「自治体で現場までしっかり浸透できていなかった」

 今年9月、国会内で開かれた障害者団体の集会でも、別の役所で本人でないとダメだと言われ、マイナ保険証の更新ができなかったという事例が報告された。

9月の障害者団体の集会で、マイナンバーカードの取得すら障害者には困難だと訴える渡辺さん(右)

 渡辺さんは「申請しても自治体の窓口の人によって対応はばらばら。厚意で何とかしようとしてくれる人もいれば、簡単にだめだという人もいる。保護者たちも何が正しい対応か分からない」と話す。  総務省マイナンバー制度支援室の担当者は「制度改正のたびに自治体にはしっかりと周知している。自治体のほうで現場までしっかり浸透できていなかったということに尽きる」と言い切る。

◆自治体担当者「規格通りと思ってもはじかれる。基準が分からない」

 ただ取材すると、政府からの指示に自治体も四苦八苦していた。  愛知県内のある自治体は「国の定義があいまいで、市町村で多少対応が変わってしまうところもあるのかも。判断は各市町村に委ねるとか、悩ましいところになればなるほど最後は逃げられちゃう。自治体も苦慮している」と不満をこぼす。  この担当者が、一例として挙げたのが「要配慮者」の定義だ。  要配慮者はマイナ保険証を持っていても、保険証代わりとなる「資格確認書」も受け取ることができる。  国は要配慮者について「障害者や高齢者等」と例示しているが、「等」にどんな人が含まれるのかが分からない。県を通じて国に照会したところ、「明確な定義はないので、それぞれで考えてください」といった趣旨の回答が返ってきたという。  別の自治体担当者も「役所で規格通りの写真と思って申請してもはじかれることがあり、正直、基準が分からない」と明かす。

◆「あらゆる立場の人が抱える困難を理解した対応」を願う

 私が施設を訪ねた際、障害者の親は「誰一人として同じ障害の人はいない」と強調した。  親たちが願うのは、どんな人も包摂した制度。あらゆる立場の人が抱える困難を理解した対応だった。  私も分かったつもりになっていたのではないか。さまざまな障害の人がいる施設を後にしながら、自分自身を省みた。(戎野文菜)

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