秋篠宮家の長男・悠仁さまが受験し合格した筑波大学はどんな大学なのか。
筑波大学が開学したのは51年前の1973年と比較的最近の事だが、1872年に創設された「師範学校」を創基とし古い歴史がある。
師範学校はその名の通り教員養成がメインで、柔道の創始者である嘉納治五郎氏が23年にわたり校長を務めた東京高等師範学校などに改組されながら、戦後の1949年に東京教育大学となった。
キャンパスは東京・文京区などにあったが、狭く分散していた事などから、茨城県のつくば市への移転が決定し、1973年に筑波大学が開学した。
大学のホームページによると、学生数は1万6722人で教職員数は4704人(いずれも2024年5月1日現在)。
建学の理念は、「基礎及び応用諸科学について,国内外の教育・研究機関及び社会との自由,かつ,緊密なる交流連係を深め,学際的な協力の実をあげながら,教育・研究を行い,もって創造的な知性と豊かな人間性を備えた人材を育成するとともに,学術文化の進展に寄与することを目的とする」としている。
「学群・学類」制度を取っていて、総合学域群、人文・文化学群、社会・国際学群、人間学群、生命環境学群、理工学群、情報学群、医学群、体育専門学群、芸術専門学群がある。
またノーベル賞にゆかりが深く、東京教育大学時代にはノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏が学長を務め、同じくノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏も1992年から1998年まで筑波大学学長を務めている。
「導電性ポリマーの発見と開発」でノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏は1982年から物質工学系の教授を務め、現在は名誉教授となっている。
スポーツでも優秀な人材を多数輩出していて、柔道でオリンピック2連覇の谷本歩実氏、東京オリンピック金メダルの永瀬貴規選手、体操で金メダル5個の遠藤幸雄氏、小野喬氏、同じく体操で金メダル8個の加藤澤男氏、なでしこジャパンのワールドカップ優勝メンバーである安藤梢選手、熊谷紗希選手、パラリンピック水泳で金メダル5個の河合純一氏もOBだ。
サッカー界でも、日本代表の三笘薫選手やW杯本大会での日本代表初ゴールを決めた日本を代表するストライカー・中山雅史氏などを輩出した。元ラグビー日本代表の福岡堅樹氏もOB。
他にも著名なOBとして、メディアアーティストの落合陽一氏、元衆院議員でコメンテーターの杉村太蔵氏など。
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