天皇陛下の大叔母にあたる三笠宮妃百合子(みかさのみやひ・ゆりこ)さまが15日午前6時32分に亡くなられた。宮内庁が発表した。現在の皇室で最高齢の101歳だった。
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3月から、軽い脳梗塞や誤嚥(ごえん)性肺炎のため、聖路加国際病院(東京・中央)に入院されていた。
百合子さまは、貴族院議員を務めた元子爵、高木正得氏と、昭和天皇の侍従長を長く務めた入江相政氏の姉、邦子さんの次女として、1923年6月に誕生。41年に女子学習院本科を卒業し、18歳だった同年10月に大正天皇の四男(昭和天皇の末弟)の三笠宮さまと結婚、3男2女をもうけられた。
戦後、古代オリエント史の研究者となった三笠宮さまを生涯支えられた。史跡調査のため海外を旅行された際には、現地でスライド撮影などを担当。講師として東京女子大や青山学院大などで教壇に立った三笠宮さまの資料収集や整理などを手伝われた。
公務に精力的に取り組み、1948年に恩賜財団母子愛育会の総裁に就任。2010年に秋篠宮妃紀子さまに総裁職を譲るまで、60年以上にわたり、母子保健活動に携わる人たちを励まし、支えてこられた。日本赤十字社の名誉副総裁としても活動された。
お子さま方に相次ぎ先立たれた。2002年に三男の高円宮憲仁(のりひと)さまが47歳で急逝し、12年に長男の寛仁(ともひと)さま、14年に次男の桂宮宜仁(よしひと)さまがともに66歳で亡くなられた。
16年10月末に三笠宮さまが100歳で死去した後は三笠宮家の当主を務められた。高齢になり公務の一線からは退いていたが、今年の元日の新年祝賀の儀に参列されるなど、体調の許す限り、公務や皇室行事に出席されていた。
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