イタイイタイ病の「おはなし会」が6日、富山市立図書館であった。市内の小松雅子さん(68)が、患者だった祖母や救済に尽くした父の体験から公害病の恐ろしさを語り、小学生らが聴き入った。
三井金属の神岡鉱山(岐阜県)からの排水が下流の神通川(富山市)をカドミウムで汚染。患者はあちこち骨折し「痛い、痛い」と悲鳴を上げた。1968年に国が初めて公害病と認めた。
小松さんは毎日、祖母の体をさすった。いつも痛そうで、寝返りもままならない。最期の言葉は「痛い!」。病室中に聞こえるような叫び声だった。26年間苦しみ、痛みを解放したのは死だった。患者の生涯は「まさに生き地獄」だった。
父の小松義久さんは、被害者団体「イタイイタイ病対策協議会」の初代会長として、救済に奔走する。68年、三井金属に賠償を求める裁判を起こしたが、「米が売れなくなる」「嫁が来なくなる」「金もうけをしたいのか」と、中傷が続いた。
病気だと受け入れない患者もいた。周囲の差別を恐れたからだ。父は患者宅を一軒一軒回って、信頼を得ていった。
72年に勝訴が決まっても、身を裂くような患者の痛みは解放されなかった。
父は汚染された土地の復元にも力を尽くした。米は食用にならず。工業用のりにされた。「農家にとって、どれほど悔しいことか」。土地の復元には407億円と33年がかかった。
公害の歴史を伝える資料館建設を県に求め、父は2010年2月、85歳で亡くなる。県立イタイイタイ病資料館ができたのは、その2年後だ。
「公害は環境問題の原点」「真実を真実として語り継いでほしい」と、父は言い残した。「今なら、取り戻した環境を大切にし、二度と公害を起こしてはならないと言うはずだ」と、小松さんは語りかけた。
小学5年の旭由里子さん(11)は「米や水から病気にかかる恐ろしさが印象に残った。友達に伝えたい」と感想を話した。
講話の後、小松さんは「環境の大切さ、命の尊さをしっかり発信し、子どもたちが自分のこととしてとらえて、次代の語り部になってくれるようするのが使命です」と、取材に話した。
図書館5階では8月6日まで、イタイイタイ病を伝えるパネルも展示している。(小西良昭)
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