大阪・西成で生まれた桂ざこばさん。中学のころ、学校をサボって見た三代目・桂米朝さんの落語。父親のような包容力に心を奪われ、弟子入りしました。実の父親は、すでに失くしていました。
桂ざこばさん(1991年):「『学校をサボるような子は芸人になれん、帰りなさい』と言われて。行く高校おまへんねんと、おたくが行けというけど、ない、言うたら『なら卒業したら働いてください』『世間の空気を吸うて落語界を見て、それでもなりたいなら考えましょう』と。わかりました!言うて、学校の前に電気屋さんがありまんねん。友だちのおとっつあんがやってまんねん。世間の空気、吸わせてくれと。1カ月で辞めるさかい言うて。1カ月だけ、世間の空気吸うてですね、また師匠のところ行って、世間の空気吸ってきました、噺家にならせてください言うて『しゃーない』言うことで」
大阪市民:「怒りっぽい、せっかちなところがあるような感じがして。でもあとで訂正したり、優しい面があとで必ず出てくる。だんだんヒートアップするところが、逆に面白かったり、感情移入して泣いてはるし、人間性が出て面白いなと」
出演した番組では、ありのままの感情を隠しませんでした。
うつ病や脳梗塞に見舞われたこともありましたが、家族に支えられ、乗り越えてきました。
師匠の米朝さん直伝の古典落語を得意とし、芸術選奨文科大臣賞なども受賞しました。
自身も弟子を育てた桂ざこばさん。4月の弟子の襲名発表では、こう話していました。
桂ざこばさん(2024年):「このままでええんちゃいまっか。このままで自然に大きくなっていきよるちゃうかな。落語いうのは、こうせい、ああせい言われてもできへん。自分で身につけて、自然に大きくなっていく」
ただ、このとき、こうも話していました。
桂ざこばさん:「もう、あきまへんねん、ぜんそくで。ぜんそくはあかんわ、ほんまに」
12日午前3時14分、ぜんそくのため、自宅で息を引き取りました。あまりにも突然の別れです。
大阪市民:「何とも言えない親しみを感じていた。人間味があってよかった。もう一度、聴きたい」
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