「ひのともり」店主の日野貴明さん(左)とスタッフの三矢恵莉維さん(中)、外山和代さん。みんな移住者だ=石川県七尾市で
◆都会で切れた心の糸…能登で「初めて自分を認めてあげられた」
料理はほぼ未経験ながら高校卒業後に東京都目黒区の一つ星フレンチ料理店に弟子入り。初日から調理を任され、修業に明け暮れた。だが、約2年後、祖母の死なども重なり、張り詰めた糸が切れたように体調を崩して店を辞めた。 先の見えない将来を模索していた中、地方ならではの仕事に触れる総務省の「ふるさとワーキングホリデー」を知った。「直感でビビッときた」。21歳で石川県珠洲市に移り、市内の食堂で働いた。食堂オーナーから新店のレストラン店主を任されたこともあり、2週間予定の「ワーホリ」終了後も、珠洲で暮らした。 「こんな優しい土地ってあるんだ」。当時は赤く髪を染め、都会から来た若い自分でも分け隔てなく受け入れてくれた能登の人々が温かかった。「社会の歯車の一部のようだった都会と違い、初めて僕自身の存在に気付けたというか、認めてあげられたような気がした」。1年半過ごした後、新型コロナウイルス禍などで一度能登を離れたが愛は冷めず、2021年4月、珠洲時代の食堂オーナーから紹介された七尾市の空き家に今の店を構えた。◆被災が、店を続ける「大義」になった
七尾市内では、各地で駐車場の地割れなどの被害が見られた=同市能登島半浦町で
店の経営が軌道に乗ったところで地震が襲った。地元作家の皿60枚ほどが割れて断水で休業。帰省していた東京から駆け付け、泣きながら皿の残骸を拾った。 だが、能登を離れる考えはみじんもなかった。「逆に大義ができたなって。今までは能登が好きだから続けていた店を、次は好きな能登のために続けたい」。出張営業などで食いつないで再建準備を進めた。そして断水解消後の4月12日。自分が能登に受け入れられたように、気軽に来られる「食堂」にコンセプトを変え、営業を再開した。 単価が下がることで経営は厳しくなるが、能登で店を続けるため、6月に金沢市にスープカレーなどを提供する2店目を開く。「うちを待ってる人がいる。能登の人の心に灯をともし続けられるよう頑張ります」 ◇ ◇◆「飛び込んで後悔はない」スタッフの決意
再スタートを切った「ひのともり」に新たに加わった2人のスタッフも、能登地方にほれ込んで移住を決意し、新天地で夢を追いかける。 「ワクワクしかない」。静岡県で看護師をしていた外山(とやま)和代さん(50)。昨年10月に総務省の「ふるさとワーキングホリデー」を活用し、日野貴明さんも働いた石川県珠洲市の食堂に勤務。ひのともりで働くことが決まっていた中、地震が起きた。 発災当時は「ワーホリ」を終えて帰郷していたが、「このまままた静岡で暮らしたら、お世話になった能登の人たちがずっと頭から離れなかったと思う。だったら、今飛び込んだ方が後悔はない」と振り返った。 埼玉県在住の図書館事務員で地方での喫茶店開業を夢見ていた三矢恵莉維(えりい)さん(29)は、里山里海の食文化にひかれ、石川県羽咋市の地域おこし協力隊に応募。春から市内のレストランで働く予定だったが、地震で店が損壊し、協力隊も中止に。共通の知人を通じて日野さんと出会った。 「自分が来たことで能登がプラスになればいいけど、まずはまともに仕事ができるようになりたい」と意気込みを話した。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。