◆「日本女性学研究会」が1977年に発足
研究会が発足した77年は、女性の意識変革を掲げた「ウーマンリブ」運動を経て、新たな「女性解放の思想」としてのフェミニズムが注目された時期だった。研究会には研究者や会社員、主婦が集い、「学問と日常生活、理論と実践といった価値の分断をなくす」「いずれにも根ざした女性解放運動を創る」と掲げた。 82年には「海外のような『女の本屋』が日本にも必要だ」と、研究会メンバーでもある中西豊子さんが京都市内に「ウィメンズブックストア松香(しょうか)堂」を開店。古い町家を改装した店の2階は、研究会の会合や本の編集の拠点となった。◆「女性の駆け込み寺」として相談にも対応
京都にできた日本女性学研究会の歴史を振り返る(写真左から)小川さん、桂さん、荒木さん=大阪市内で
「からだ・性」「こころ」「女性と仕事」「女性と法律」「女性史」…。さまざまなテーマの本が並べられた。「松香堂は女性の駆け込み寺として、相談に応じる場にもなっていた」と話すのは、研究会の一員の小川真知子さん(71)=大阪府箕面市。研究会に入会した25歳のころを「もやもやを抱えていた」と振り返る。 18歳から会社の事務職として働き、30人いる社員のうち女性は2人だけ。「女性だから係長にはできない」と言われ、代わりに係長相当の職能給を得た。「セクハラ」という言葉がなかった時代。同僚から体を触られても、どう受け流すかを考えていた。 そんなときに手にした新聞で「日本女性学研究会」の存在を知り、「これだ」と思った。「『女性学』という言葉が新鮮に見えた。研究会の場では、痴漢被害の話も、誰かにちゃかされることがなくて、安心して話せた。『被害に遭った私が悪いんじゃない。社会の側に問題がある』という共通の認識があったから」◆「主婦は宿命じゃなく社会によってつくられる」
専業主婦だった桂容子さん(73)=大阪市=は20代で研究会を知り、片道3時間近くかけて、京都で開かれる例会に通った。「家族のために家事育児をし、地域活動をすることが幸せと思わされていたが、私には地獄だった」と語る。そう思う自分は「人並み」ではないと自らを責め、「何者でもない私が何か求めても、誰も助けてくれない」と孤独を抱えていた。 女性の家庭尊重や職場進出について展開された戦後の「主婦論争」を踏まえ、桂さんは81年、性別役割分担を否定する「主婦消滅論」を研究会の年報で発表した。「主婦は宿命じゃなく社会によってつくられる。主婦はいらない」と結論づけて、後に家を出た。 研究会の一員で、ジェンダー研究が専門の大阪公立大客員研究員の荒木菜穂さん(46)は、一方的に「誰かの代弁をしない」という研究会で重視されたルールが大切と説く。代表者を置かず、女性たちが平場で議論してきたのが研究会であり、荒木さんは「男性中心主義のトップダウン式組織へのアンチテーゼ」という姿勢を評価する。◆橋下徹府知事が売却検討を打ち出し…
かつて女性問題専門書店が入っていたドーンセンター=大阪市内で
85年には男女雇用機会均等法が制定され、各自治体でも女性センターをつくる動きが相次いだ。94年、大阪市に旧大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)が設立。センターの本の選書を担った松香堂も開館に合わせて移転入居した。 2008年、後継者に引き継がれて運営されていた女の本屋に危機が訪れる。府知事に当選した橋下徹氏が行財政改革の名目で、ドーンセンターの売却検討を打ち出したのだ。 荒木さんは「もう女性差別は終わった、男女共同参画はいらない、というメッセージにもなりかねない。深刻だと思った」と振り返る。府民の反対運動でセンターは存続したが、本屋は閉店を余儀なくされた。 行政頼りの運営には、限界がある。 この出来事を経て09年に結成されたのが、女性のための情報を発信するポータルサイト運営のNPO法人「WAN(ウィメンズ・アクション・ネットワーク)」だ。フェミニズムの第一人者で東京大の上野千鶴子名誉教授が代表を務め、イベントや新刊本の情報を発信している。◆WEB上の図書館が理念を継承
松香堂の理念を引き継ぐのが、ウェブ上の「ミニコミ図書館」。1960年代からのミニコミ誌127タイトル、6500冊以上を収録し、無料で公開している。放置すれば散逸してしまう女性たちのミニコミ誌を守る日本で唯一の取り組みという。 「男女の雇用機会均等はいまや当たり前。学校ではランドセルの色が自由に選べ、男女別名簿もない。だけど、その背景には、女性の権利を広げてきた長い草の根の運動がある。ミニコミを通じ、社会を変えてきた日本のフェミニズムの歴史を知ってもらいたい」。WAN理事の境磯乃さんは、公開の意図を話す。◆若い世代に考える材料を
90年代以降、セクハラやDVといった言葉によって女性の問題は可視化され、支援や保護のための法律や仕組みが生まれた。それでも日本のジェンダーギャップ指数はなお、先進国で最下位。就職、結婚、出産と人生の段階によって、課題に直面する現状がある。 「選択的夫婦別姓も実現できず、女性に不都合を強いる法律や制度が続いている」と境さんは話し、WANの役割についてこう願う。「とりわけ20〜30代の若い世代が、過去の女性たちの声や思いとつながり、支えられ、考える材料となるような場を提供できれば」 ◇◆京都に開店した「ちょっと偏った本屋」
京都市左京区の北白川地区にある「シスターフッド書店Kanin」。大分出身の女性2人が「女性が1人で来ても、安心して本を読み、過ごせる場所があれば」と昨年8月にオープンしたブックカフェだ。 女性作家の小説やエッセー、フェミニズムを中心に数百冊を並べる。運営する井元綾さん(48)と京極祥江さん(49)は「中学生のとき、源氏物語をきっかけに仲良くなった私たちの『ちょっと偏った本屋』とうたっています」と笑う。女性が安心して本を読める場所にしたいと話す京極さん(右)と井元さん=京都市左京区の「シスターフッド書店Kanin」
「人生ぶつかったし、傷だらけ」と京極さん。大学までは男女関係なく過ごしてきたのに就職氷河期で、仕事は思うように決まらなかった。「頑張れば、私はできる」と仕事にまい進したが、結婚出産を経て、女性ばかり家族のケアを負担する役割を苦しく思った。 自分を支えてくれたフェミニズムを取り扱う古書店を開くのは、京極さんの夢だったという。同じ京都にかつてあった女の本屋「松香堂」の存在も開店への思いを後押しした。「私たちの前に、種をまいた人たちが京都にいたと知って、やらなあかんと思った」 参加者を募り、フェミニズムや性暴力をテーマとした読書会も開いている。差別を認めず、他の参加者の発言を否定しないことなどがルールで「この場が求められている、と感じる」と井元さん。店名の「シスターフッド」は、個々の女性たちの連帯を表す言葉だ。 「〇〇さんの奥さん、お母さんなどと、女性が家庭や立場で呼ばれ、分断されるのはおかしいと思ってきた。男性中心社会の中で、独りで悩まなくてもいいようにお客さんともシスターフッドの関係でありたい」◆デスクメモ
学生時代は京都で暮らした。閉鎖的とも言われるが「それ、ええなあ」と他人の価値観を認めてくれる空気感、多様性を大切にする寛容さが心地よかった。そんな京都にルーツを持つのが女の本屋。危機にさらしたのが維新。あの面々は何を脅かすのか、改めて認識する必要がある。(榊) 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。