地震で大きな被害を受けた能登半島の各地で8日、入学式や始業式が行われました。
輪島市では、被害が大きかった6つの小学校が、消防署を借りて入学式を行いました。
石川県内では、今も25の学校が避難所として使用されています。
新入生の母親:「この日が無事に迎えられるとは、当初、思っていなかったので、本当にうれしい」
能登町の松波中学校。
中学2年生・久保田光咲さん:「転校した子もおるから、ちょっと少なくなって寂しい」
2年生は11人のクラス。1年生のときから、3人、減りました。2人は転校。ムードメーカーだった男の子は、命を落としました。
光咲さんと最初に会ったのは、1月のはじめ。家族で、体育館に身を寄せていました。
避難所生活が長引くなか、町は、被災した中学生が安心して授業を受けられるよう、希望する人の“集団避難”を実施しました。光咲さんも、約1カ月間を、金沢市で過ごしました。
8日、教室では授業が再開されましたが、体育館では、まだ43人が生活を続けています。仮設住宅の建設が進んでいないためです。
中学1年生:「地震がなかったら、体育館で楽しく遊べていたけど。悲しい思いをされた方が避難しているので仕方ないかな」
校舎が使えなくなった近くの小学校も“間借り”しています。かえって賑やかになりましたが、傷を負った、子どもたちの心は“元通り”にはなりません。
松波中学校・岡本智子校長:「忘れてはいないんです、つらいこととか、悲しいこととか、経験を忘れないし。だけど『一歩踏み出していこう』と。培ってきた友だち関係や地域の温かさを子どもたちは感じている。戻ってきたい思いが子どもの中にあるのだと思う」
3カ月経っても、地域の経済も“元通り”とはいきません。
光咲さんの父親・久保田康裕さん(53)は、スクールバスの運転手です。1日8往復していましたが、震災後は2往復に減りました。
久保田康裕さん:「収入も減りました。親の仕事の安定化と戻ってくるような形にしないと、みんな出て行ってしまう」
子どもたちが学び続けるためには、親の仕事が必要です。
夜、自宅に戻った光咲さんは、大好きな絵を描いていました。避難生活を経験して、以前とは違う、目標ができたそうです。
中学2年生・久保田光咲さん:「違う生活の仕方をしたら、困っている人を助けたいなって」
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