おもしろい体験が「つまらない文章」になってしまう
「気持ちを伝えたいけど、ありきたりな文章になってしまう」と悩んだ経験はないだろうか。
すごく貴重な体験をしたはずなのに、いざ文章にするとなんだかつまらなく見える。思い入れのある提案だったのに、資料やメールの文章にしたらあっけないほど凡庸になってしまった。そんなケースだ。
なにを隠そう、僕もそんな経験の繰り返しだった。22年前に自身のサイトを立ち上げ、「これはおもしろい!」と思って意気揚々とインターネットに投下した文章は、たった1人にしか読まれなかった。
そこから、どうやったら読んでもらえるか、伝わるかと考え続けて今がある。
奇抜な表現を避けようと思って綺麗な言葉を並べればいいのかというと、これまたそうではない。そうすると独自性が失われ、埋もれ、ますます読まれなくなっていく。
一体どうしたらいいのか。そんな葛藤を経てたどり着いたのが、「断絶の言葉」を使わないという方法だった。
文章によって表現しなくてはならない一番大切な情報は感情である。それも書き手の感情だ。なぜなら、それが唯一無二と言っていいほど独自性のある情報だからだ。それは読み手に提供される情報としては相当な独自性を持っているものなのだ。
「すごく好き」
「嫌い」
「嫌な感じがする」
「死ぬほど笑った」
「悲しい」
「苦しくなる」
文章に限らず、我々が誰かに伝える情報は、突き詰めていくと自分はどう感じるかに行き着く。どんな事象であっても、それを受けて自分がどう感じたか、我々はそれしか伝えていない。そのほかの部分はこれを効率よく伝えるための装飾に過ぎない。ある事象に対して著者はどう感じたか、突き詰めればそれだけしか伝えていないのだ。
「キモい」「エモい」は禁止
そこで注意しなくてはならないのが、自分の感情を見過ごさないことである。
これに関して、僕はある決まりを自分に課し、それを守っている。
僕は「キモい」「エモい」という2つの言葉を使わない。それをあえて使う意図がある場合を除いて文章でも日常生活でもほとんど使わない。この2つは「断絶の言葉」だからだ。
この「断絶の言葉」とは、そもそもそういう言葉はないし、あったとしても別の意味合いがあると思うけど、僕はそう定義して呼んでいる。他にもいくつかあるけれども、「キモい」「エモい」この2つの言葉は断絶の度合いが傑出している。だから使わない。
これらは形容詞であるので「美味しい」「痛い」といった言葉と同じなわけで、それらの形容詞を使って文章や言葉を構成していくことは当たり前だ。けれども、「キモい」「エモい」だけは使わない。
なぜなら、最近の文脈においては、この2つの言葉だけは「どうしてそうなのか」が語られることが少ないからだ。一般的に多くの場面で使われすぎてかなり強い力を持っており、それだけで済んでしまう手軽さと危うさがある。これはそういう使われ方をしている言葉だ。
とにかく「キモい」と言っておけば、いい感情を持っていないことが伝わるし、相手を拒絶できる。「エモい」と言っておけば、なんかいい風に感動しているんだなと伝わる。むしろ、明確に何がどうでキモいだとか、何がどうでエモいのか説明しないことで曖昧に感情を伝える意図すら感じる。そんな言葉だ。
では、なぜこれを「断絶の言葉」と呼ぶのか。いったい何と断絶するのか。
それは自分の感情だ。あまりにこれを使っていると自分の感情に気づけなくなってしまう。だから断絶と表現している。
「キモい」
何かに対してそう思ったとき、本来はなぜそう思うかが大切なのだ。気持ち悪いと思った理由、背景、それはもしかしたら他責的な思考で、自分の心に内在するトラウマ的な何かが原因かもしれない。
あまり良く思っていない感情にも多くの付随する感情があるはずだし、本来はこちらのほうが重要なのだ。それはあなたが世界をどう見ているかに繫がる貴重な情報なのだ。
しかし、それだけでなんとなく済んでしまう「キモい」は、自分のその良くない感情を紐解く意志を奪っていく。
大谷翔平選手がサラリとかわした「ある問いかけ」
「エモい」についても同様で、なんだか感動的な場面に接したときに使われることが多いが、本来はなぜここで自分の感情が動くのか、なぜ心の琴線に触れるのか、その感情のほうが重要なのだけど、あまりにその言葉が強い意味を持ち始めた「エモい」はそれを奪う可能性を含んでいる。
文章を書いて何らかの形で発表するということは、読む人の心を動かしたいということだ。これから文章で人の感情を揺さぶろうとする人間、それが自分の感情に無自覚だったとしたらどうだろうか。自分の感情に気づけない人がどうやって人の感情を震わせるというのか。
ここで大切なのは、別に「キモい」や「エモい」を使って書かれた文章がダメだとか、その言葉を使っている人は良くないと言っているわけではない。ただ、自分の中で明確な線引きをして、こういう理由だから使わない、と決めることこそ自分の感情に向き合っていることになるのだ。思想はそれがいつしか言葉になり、行動になり、習慣になっていく。そう自覚していくことが大切なのだ。
アメリカ・メジャーリーグの大谷翔平選手がNHKのインタビューにおいて「前回は下位のチーム相手に取りこぼしましたが」と質問された。すると、大谷選手は「取りこぼすという表現が適切かどうかわかりませんが」と、サラリと否定して話を続けた。
これは大谷選手が人格者であり、相手チームに敬意を払っていることがうかがい知れるエピソードだが、それだけではない。
おそらく彼は「取りこぼす」なんて言葉を使わないと決めているのだろう。それを使うとそれが思考となり、行動になる。勝って当たり前という舐めた態度に出るかもしれない。それを理解しているのだ。自分の中で明確な線引きができているのだろう。
断絶の言葉を使わないことは少なくとも自分の中で自分の感情に丁寧に向き合う行為である。そのような生き方をしていくべきだし、可能ならば誰かの感情にも丁寧に思いを馳せるべきなのだ。
単語にまとわりついたイメージを自覚しているか
SPOTという旅行サイトに寄稿した「青春18きっぷで日本縦断。丸5日間、14,150円で最南端の鹿児島から稚内まで行ってみた」という文章がある。JR最南端の駅から最北端の駅まで、普通列車だけで日本縦断するという記事だ。この中に不可解な一文がある。
「ここから川内へと行く列車は1時間ほどの乗り換え時間があって8時29分発。まあ、これが正解だ、これで行こうと決意して掲示板を眺めていると、むちゃくちゃ鉄道に詳しそうな剛の者っぽい人に話しかけられた。」ここで「剛(ごう)の者」という言葉がでてくる。
これは鉄道に詳しい人を表している。「鉄オタ」「鉄道オタク」「乗り鉄」みたいな人を指す意味合いに思ってもらえればいい。
ただ、この言葉自体にそのような意味があるわけではないので独自の表現であり、内輪感が出てしまう表現でもあるので本来は好ましくない。それでも僕は頑なに「剛の者」を使い続ける。
その理由はやはり自分の感情だ。この文章を書いているとき、やはり青春18きっぷシーズンで、すぐにそういった剛の者に遭遇した。その様子を書いているときに「いかにも鉄オタといった感じの人が」と書いたと思う。そこでピタリと手が止まった。
嫌な感じがしたのだ。
「鉄オタといった感じの」この部分にものすごく嫌な感じがした。そこで自分の感情を紐解いてみた。なんで嫌な感じがするんだろうと丁寧に向き合ってみたわけだ。
世間では、いわゆる撮り鉄と言われる人があちこちで迷惑や騒動を起こしている時期でもあった。列車の撮影のために入ってはいけない場所に入り込んで列車を停めるなど、そういう事件が起こっていた。ネットを中心にそういった鉄オタたちへのヘイトが向かっていて、良いイメージを持っている人が少ない状況だった。
僕自身も鉄オタと言われればけっこう厄介な存在、という思考がなかったといえば噓になる。鉄オタが悪いのではなく、鉄オタという単語に悪いイメージがついている、少なくとも僕の感情はそう判断したのだ。
「感情」が「文章」に変化していくのが怖かった
しかし、僕の記事を読んでもらったらわかると思うけど、僕が旅先で出会う鉄オタっぽい人は、親切であり、熱心であり、気さくで、尊敬に値する人々ばかりだった。迷惑な人なんていなかった。だから、そういう人を一緒くたに「鉄オタ」と表現することを僕の感情が拒否した。
『文章で伝えるときいちばん大切なものは、感情である。 読みたくなる文章の書き方29の掟』(アスコム)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプしますたかだか単語だが、それは僕の感情だ。それを無視して「鉄オタ」という表現を使い続けていると、それはいつか、そういう人たちを見下したり、バカにするような思想に、行動に、文章に変化していく、それが怖かったのだ。
そして、それは読んだ人も気分がいいものではないだろう。そういう思想はけっこう透けて見えるものだ。そんなものを読んでおもしろいと思ってくれる人もいないし、誰かの心を震わせることもない。だから僕は表現としてわかりにくく、適切でなくとも「剛の者」と表現する。そこにはリスペクトの意味が込められている。
この記事は、実際に多くの人に支持され、拡散された。素人が鉄道ネタを扱うことを嫌いがちな剛の者たちの多くも賞賛し、拡散してくれた。
こうしたひとつの単語だけとっても、どういう感情を自分が抱いたのか、それはなぜなのか、紐解いていくべきである。見過ごさないことだ。
それができるようになるには「キモい」だとか「エモい」だとか断絶の言葉なんか使っていられない。もっと丁寧に、自分の感情に向き合う訓練をしなければならないのだ。
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