フランシス・フクヤマ氏(写真提供:朝日新聞社)「世界最高の知性」の一人とも言われるフランシス・フクヤマ氏。ベルリンの壁崩壊、冷戦の終結など、世界史の大きな転換点となった1989年、彼は、西側諸国の自由民主主義が、人間のイデオロギー的進化の終着点なのではないかとの見方を示した。しかし2020年代、世界は歴史の針を戻したかのような出来事に直面している。さらに人工知能などのテクノロジーも飛躍的に発展し、歴史は新たなフェーズへと突入した。この時代をフクヤマ氏はどうとらえているのか。『人類の終着点 戦争、AI、ヒューマニティの未来』(朝日新書)に収録されたフクヤマ氏の未来予測を公開する。

テクノロジーは、自由民主主義に貢献できるのか?

――あなたは、情報技術の開発が、人間の本質と政治的な秩序に何をもたらすのか考えてこられました。人が考え、意思疎通をすることで、政治的な行動に関与するときには、言葉がカギになります。言論の自由を確保することは、自由民主主義社会の最も大事な要素です。ですが、AIや生成AIのような新しいテクノロジーが開発されて、人類は真の意味で自由になったとは言えないかもしれません。巨大テクノロジー企業、または中国やロシアのような権威主義的な国に力が集中して、むしろ状況は悪化していくという予想もあります。

あなたは、様々な問題を一度に述べました。整理してお話ししましょう。

まず1つ目の大きな問題は、インターネットそのものです。

情報の流れは、かつて特定のエリート層によって管理されていました。かつては、メディアや企業、もしくは政府が、政治に関するニュースや情報の選別や認証をする役割を担っていました。しかし、その役割は過去のものになりました。なぜなら、今は、誰でも好きなことを表現できるようになったからです。なので、以前のように、事実に関する情報に同じような信頼を置けなくなりました。

ワクチンの接種拒否を例にしましょう。20年前では、社会の縁以外では問題にすらならなかったでしょう。しかし現代では、共和党が「ワクチンは健康に悪い」と主張しています。馬鹿げた見解ですが、いまだにそう信じています。かつては大きな権威が、「何が大事な情報で、何がそうでないのか」を伝えてくれていました。そうした信頼性が失われた世界でのみ、こうした主張は可能になります。これが、問題の一つの側面です。

そして、2つ目の問題は、ソーシャルメディアの武器化です。ソーシャルメディアでは、特定のグループをターゲットにして、以前よりも洗練されたやり口で、人々が揺さぶりをかけられています。

また、巨大なソーシャルメディアプラットフォームに力が集中してしまっているのも問題です。イーロン・マスクがツイッターを買収してからのことを考えてみてください。ツイッターが左派的な方向に向かっていたのを、彼は気に入らなくて買収してしまいました。

一人の裕福な個人の影響で、ツイッターは突然右派的な方向に傾いて、陰謀論などをまき散らしています。これは、民主主義にとって大きな問題です。私的な力はこのように集中させるべきではないのです。

インパクトが不明な生成AI

さらに3つ目の問題は、生成AIについてです。「生成AIが究極的にどのようなインパクトをもたらすのか」。これについては、まだ誰も理解できていません。「仕事が奪われる」という懸念の声もありますが、しっかり理解するには時期尚早でしょう。

これらの技術は、平等を推進するかもしれません。たとえば、スキルや教育水準が低い人にとっては大きな力になるかもしれません。これについては、まだわからないことのほうが多いのです。

生成AIのインパクトについてはまだ不明ですが、一方で、理解できるテクノロジーもあります。それは、ブロックチェーンと暗号資産です。

ビットコインの登場から10年以上が経過しました。しかし現在では、誰も使っていませんね。これらは、お金にまつわる人類の金融の歴史において最大の詐欺の一つである、と私は思っています。

こうしたテクノロジーのいくつかは、崩壊するバブルです。それと比較すると、生成AIは違います。とてもパワフルで、変革を起こすものになるでしょう。

75年間の平和に「倦怠」を感じる人々

――最後に、リベラリズムの話に戻りましょう。あなたは、リベラリズムへの希望をまだ失ってはいません。その理由を聞かせてください。

こうしたものは、世代的なサイクルで進みます。

反リベラルな社会で紛争を経験したり、人権を剝奪するような独裁制のもとで暮らしていたりすれば、リベラリズムは大きな支持を得ます。

一方で、人権が保障される体制のもとで、人々はとても幸せに生活を送ることができます。人権が保障される体制とは、移動の自由、思想の自由、言論の自由、批判する自由が奪われない体制です。

『人類の終着点 戦争、AI、ヒューマニティの未来 』(朝日新書)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

私たちは、過去75年にわたって平和で繁栄したリベラルな民主主義のもと暮らしてきました。この期間で、人々はリベラリズムに代わるもののひどさを忘れてしまったのです。

「やはり、リベラリズムは良いものだった」と気づく前に、私たちは反リベラリズムの期間を体験しなければならないのかもしれません。

インドはその好例です。インドでは、地方で暴力的な事態が数多く発生する余地があります。モディ首相は、そのような道をたどるでしょう。インドは、1世代ほどこうした地域間の暴力を経験して、はじめて気づくことになるでしょう。「リベラルな体制に戻る時が来たかもしれない。信仰を理由に差別されることはなかったから」と。

グローバル化が進んで、欧州の人々が比較的自由で繁栄した19世紀の後半から20世紀の前半、人々は平和な時を過ごしました。ですが、それでも欧州が戦争に向かうのは避けられませんでした。

これに関しても、先ほどと同じような世代に関する議論ができるでしょう。1914年の欧州は、1世紀ほど続く平和を謳歌していました。大規模な戦争はありませんでした。

たしかに普仏戦争はありました。しかし、それは短期間で終結しました。ある意味で、人々は退屈していたのかもしれません。欧州は、物質的に大きな進歩を見せた世紀でした。

しかし、人々はそれ以上のことを望みました。

そして、それは残念なことに、2つの世界大戦という形で実現することになりました。

私たちもそのような時を過ごすことになるかもしれません。

大国間で比較的平和が保たれた75年間を経て、人々がそれに倦怠を感じて、別の何かを欲するようになっているのかもしれません。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。