那覇のまちぐゎーにあるかまぼこ屋の老舗「ジランバ屋」が、2024年5月末、およそ100年の歴史に幕を下ろす。
多くの人に愛されてきた味を守り続けてきた家族にカメラを向けると、胸に迫る光景が目に飛び込んできた。ぜひ、冒頭に掲載している映像を見てほしい。
「ジランバ屋」の由来は魚売りとして働いた「玉城ジラ」さん
その昔、漁港で買い付けた魚を頭の上に乗せたタライに入れ、行商に出向いた女性たち。ウミンチュのまち糸満の魚売りの昔懐かしい光景だ。
そのうちの1人だった玉城ジラさんが、今からおよそ100年前に、売り物にならない魚をかまぼこにしたことから始まったのが「ジランバ屋」。
▽買い物客
「ネームバリューが大きい店。ジランバ屋って聞くと「あっ」てすぐ思っちゃう」
「行事のような時には、ほとんどこっちに(買いに)きます。昔から」
沖縄かまぼこの老舗が、従業員の高齢化などを理由に、今月末でその歴史に幕を下ろす。
▽客と店員
「今月いっぱいまで?」
「そうなんですよ」
「あぁ、さびしい、やめないでほしい」▽
▽創業者・ジラさんの四女 玉城洋子さん
「皆さんが頑張ってって励ましてくれる。でもいろんな状況で、どうしてもみんな肉体的にも衰えてますしね。だから、頑張っていくのが困難だっていうのでこの結論に至りましたのでね…」
ジラさんの教えを守り続けた「手づくり」
那覇のまちぐゎー(市場)に工場を構える「ジランバ屋」。かまぼこづくりは、夜明け前に始まる。時計の針は朝5時を指す。
▽創業者・ジラさんの孫 ジランバ屋代表 玉城吉蔵さん
「今の時間からやらないと間に合わないわけ。昼から作ったらもう、朝から作ったら昼あとにしか売れないさ…」
15種類ほどある商品のなかで、1926年の創業当初から作られている商品が
「ちきあぎ」だ。魚のすり身に、ゴボウのさわやかな風味と食感を加えた一品で、機械は使わず手作業で仕上げる。
▽玉城正博 さん
「手作業がいいですね。機械でするとどうしても見た目はいいけど味が違う。(ジラさんは)ごぼうを多めに入れなさいって言ってました。お客さんのためじゃないですか。ケチケチするな、多めに入れなさいって」
店が遊び場だった、ひ孫のゆめ子さん。大人になった今も、仕事が休みの日には、工場を手伝う。
▽ジラさんのひ孫 照屋ゆめ子さん
「生まれた時からジランバ屋があることが当たり前で。この環境でずっと育ってきたので、すごい恩もあって、ジランバ屋に。なので返せることはやりたいと思って。今もできるところは手伝っています」
店を支えた家族 お客さんへの感謝を伝えて走り抜ける
ジラさんへの恩返しのために店に立つ。その思いは、家族みな同じ。
40歳の時から店を手伝ってきた娘の洋子さんはいま、持病が悪化し、少し動くだけでも息があがってしまう。
それでも、お客さんに感謝を伝えようと、最終日まで、できる限り店に立とうとしている。
土砂降りの日でも名残りを惜しんで訪ねてくる常連客たち。
店がなくなる寂しさを抱えながらも、長年の苦労へのねぎらいの気持ちが勝る。
▽客
「小さい頃から知ってるから、もうすぐそこに住んでいたので、何か言うことというよりも…お疲れさま、ですかね」
▽店員
「ありがとうございます、またお越しくださ… ありがとうございます」
▽客
「来週までだけどね」
▽店員
「だからね。(最終日の)31日まで来てよ」
▽玉城洋子さん
「ありがとうね」
▽玉城洋子さん
「励ましてくれて、今までご苦労さまって言ってもらえることへの感謝。母がずっと守ってきたお店ですから、ひとりでも笑顔にできて、安くおいしくという気持ちでね。そういう理念を持って母が作ったかまぼこ屋ですから」
貧しい暮らしのなかで、ジラさんがはじめたジランバ屋。家族がつないだ100年にわたる感謝のリレーは、まもなくゴールを迎える。
ジランバ屋の営業は、2024年5月31日まで。(取材:RBCリポーター比嘉チハル、黒島ゆりえ)
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