この手紙は、東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授がインターネットオークションで見つけて購入し調査にあたりました。
分析の結果、秀吉の直筆とみられる花押などから本能寺の変の3か月後にあたる1582年の9月に、中国地方を治めていた大名の毛利輝元に送った手紙と結論づけました。
手紙には「太刀1本と小判300枚を送ってもらい大変喜ばしい」などと書かれ、明智光秀を討った秀吉に輝元がお祝いを送ったことに対する返事とみられます。
さらに輝元の使いの者に名刀「紀新大夫」をお礼として託したとも記され、信長亡きあと早々に、秀吉と輝元が関係づくりを進めていたことがうかがえるということです。
村井准教授は「まだ完全に天下を取っていない状況で秀吉が輝元に手厚く返事をし、味方につけようとしていたことが分かり、本能寺の変のあと短い期間での両者のやり取りを示す貴重な資料だ。秀吉がどのように大名の統治政策を進めていたかの手がかりになる」と話しています。
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