「インタビュー ここから」見逃し配信

見逃し配信は5月11日(土)午前7:53まで

(渡邊)
すごい、磯田さん!こうやって手のひらから歴史を発見してるんですね。
(磯田さん)
そうそう!「手のひらから歴史を発見する」。それって誰しも実はできるんですよ。歴史っていうのは、本当に自分で見た生の情報。だから、特にネットの社会とかで世界中の人が勝手に検証不能なことをやって信じちゃうことが多いですよね。液晶画面にあることって、僕は自分で確かめたほうがいいと思う。

やってみなければ分からない!

歴史好きな少年の面影は、岡山市内の実家にもありました。
庭には、ことし、息子と一緒につくったという手づくりの古墳が!磯田さんも、小学生のとき、自分の身長くらいの古墳をつくりました。

息子と一緒に実家の庭につくった古墳

(磯田さん)
こういう古墳とかでも、なんでつくるのかっていうと、やってみなければ分からないことがあるんですよ。何百分の1かもしれないけれど、これを積み重ねて、どこが崩れやすいかとかね。例えば、雨が降ってきたら、くびれたところとか比較的、崩れやすいのがよく分かるんです。僕は、古文書でひたすら文字読むんですけど、書いてることだけじゃ分からないことがありますね。だから、実際に手とか動かしてやってみると気づきが多いので、やってるんです。
(渡邊)
それって相当な熱量ですよね。なぜそこまで根気よくできたんですか?
(磯田さん)
例えば、1mの古墳をつくるとして、これを2mに伸ばした場合、面積が4倍になりますけど、体積は8倍ですよね。だから、100mの全長の古墳を200mにすると、8倍の土の量が必要なわけですが、この8倍の感覚を体で知ってないといけないと思ったんですよ、子どもながらに。
(渡邊)
なぜ知らなきゃいけないんですか?
(磯田さん)
分かったつもりになるのが怖かったんでしょうね。つまり、労働力が変わらなければ、スコップで運んで、1日でできるものが8日間に延びるわけです。どのくらい大変になるのか…2倍の大きさの古墳にするのに、あー、大変だった!ってのが分かったら、妙に得心がいった感じで、気持ちが安心した覚えがありました。

“やりたい”を貫く

歴史に没頭した少年時代。小学5年生のとき、高松城の水攻めを題材にした芝居を、仲間と上演します。みずから脚本を書き、友達とダンボールで衣装のよろいを作りました。
自分の好きなことを究め、とことん知りたいことに取り組む磯田少年のことを、「親はあきらめていた」と言います。どういうことでしょうか。

豊臣秀吉役を演じた磯田さん

(磯田さん)
算数塾とか行かせるんですけど、すぐ帰ってきちゃうんですよ。だってね、計算ドリルを延々何時間も座ったまま解かされるんです。「電卓があるのに、どうしてやんなきゃいけない?」と思ったのと、大抵、答えは決まっていて、1個だけなんですよ。
(渡邊)
算数はそういうもんですよね(笑)
(磯田さん)
そういえばそうなんですけど(笑)
親が言うには、「どうして帰ってきたんだ?」って聞いたら、「僕、自動販売機になりそうです」と言ったそうです。
(渡邊)
どういうことですか?
(磯田さん)
自動販売機があって、100円玉入れたら、何かが1個の答えとしてコロンって出てくると。ああいうふうに、僕は塾の先生に「この問題を解け」、ポンって入れられたら、答えがパンって出る感じが、自分が自動販売機になるようで、いけないことをしてる気がして、「こんなのしちゃいけないと思う」って言ったんです。
うちのおやじは、「ほら見ろ(せえ見い)」って岡山弁で言ったそうですけど、「子どものほうがかしけーがな」、「子どものほうが賢いではないか、やめさせて行かすな」って言ってくれたんですよ。これで、自分が好きなことに使う時間を確保したんです!しめた、しめたと思った。これがだいたい交渉して相手側に何かのませる説得の論理ですね。
いいとは思わないんだけど、自分は耐えられなかった。逆に言うと、ちゃんと1個ずつ学校に言われたとおり宿題もしてってできる人のほうが僕は偉いと思います。どうやっても無理でした、僕は。

高校生のとき、歴史学者としての道を決定づけるものと出会います。
磯田家に伝わる古文書です。
池田家につかえる武士だった、磯田さんの先祖。江戸時代に書かれた家系図や履歴書のような記録などを、祖母から手渡されました。

柿渋が塗られた袋に入っている磯田家の古文書

(磯田さん)
これを全部解読すれば、うちの祖先が日にち単位で何をしていたかが分かると思い、これでもう、学校の勉強は一時中断することに決めたんですよ。もう宿題やらない。学校は行くけど、これが解読できるようになるまで、学校の勉強、宿題をやめると。こっちのほうが、価値がある。学校でやってる教育でいい点を取るとかよりは、こっちのほうがおもしろそうだと思ったんです。

歴史は必ず“韻を踏む”

小さいころから歴史を探究し続けてきた磯田さんは、今の時代、歴史は転ばぬ先のつえとして生かせるといいます。

(磯田さん)
僕は、歴史は安全靴だと思っています。歴史を知っていれば、災害が避けられたり、苦難が避けられたりするんですよ。
(渡邊)
予測ができるっていうことですか?
(磯田さん)
だいたい類似の予測ができる。だから、西洋のことわざで言うところの、「歴史は繰り返さない。繰り返さないが韻を踏む」んです。
(渡邊)
「繰り返す」のと「韻を踏む」のは、どう違うんですか?
(磯田さん)
似た現象が起きるということです。
韻っていうのは、少し変わってるんですよね…

(突然歌いだす磯田さん)
「北京~ ベルリン~ ダブリン~ リベリア~」

韻踏んでますよね?それが歴史なんです。だから、らせん状に近づくようなイメージで、歴史は戻りながら転換していく。一直線に行ってるわけじゃないです。

手でぐるぐると、円をいくつも描きながら…PUFFY「アジアの純真」を歌いだす磯田さん

(磯田さん)
らせん状で戻りながら、少しずつ位相を変えながら、近づきながら移動してるという動きですから、歴史を知っていくと、類似のことは過去にいくらも起きてるので、予測がつきやすくなる。歴史って、地震のような地学の現象でも、地球物理学的な現象でも、韻を踏んでいます。
ましてや、政局とか人間がやることは、韻は踏むけれどもまったく同じことは起きない、繰り返さない。「歴史は、繰り返さないが韻を踏む。」
…突然、PUFFYを歌いだして、すみません(笑)

古文書の教訓から未来を守る

磯田さんが、力を入れている研究テーマのひとつが「防災史」
活動の拠点である国際日本文化研究センターで、丹念に災害の古文書を読み解き、教訓となることばを拾い上げています。また、災害の教訓を生かすためには、研究にとどまらず、広く発信することが大切だと考えています。

日本各地の災害について記録された古文書を読み解く

(渡邊)
ことし1月にも能登半島の地震がありました。大きな災害はいつなんどき起きてもおかしくないという状況の中で、歴史から言えることは何だと感じていますか?
(磯田さん)
まず、「必ず来る」ということですね。
災害のことは来ないと思いたいんですよ。ふだんは考えないんですけど、必ず来る。それと、“来かた”ですね。まったく同じ現象ではないけど、似た来かたで来ますね。
(渡邊)
それが、歴史は繰り返さないけれども、韻を踏むということでしょうか。
(磯田さん)
そうなんですよ。繰り返さないけど、韻を踏んでくる。その韻の踏み方が前より軽めに韻を踏んでくるときと、前より強めに、ひどく踏んでくる場合がある。能登の地震は、前より強めにです。数千年に1回というような韻の踏み方で、直前の、江戸時代程度までの能登の地震などよりは、ずっと大きいかたちで来たということですね。
逆を言うと、こういうものまで起きてきているっていうことは、ひょっとすると、大層な地震の活動期が始まってるのではないかとも考えられない。歴史は参考としつつも、参考にしすぎて、この程度のものしか来ないと、たかをくくらないような情報発信をしなきゃいけないというふうに歴史家としても思い始めました。

“韻を踏む歴史”を生きる

(渡邊)
「韻を踏む歴史」の中に生きる私たちには、今、何が必要なのでしょうか?
(磯田さん)
価値観の多様化っていうのは必要なんじゃないでしょうか。あと、教育の多様化ですね。ダイバーシティーっていうことをすごい言うんですけど、特に子どもを育てるうえで、幸せ感が本当に多様化されてるかなっていう気もするんです。端的な例を言うと、江戸時代にあった身分制が崩壊したときに、身分に代わって、いい学校に行ったらいい処遇があるっていう社会を200年、僕らはやってきました。
それは戦後も変わってなくて、特に大企業サラリーマンのうちとかで、子どもをまったく塾にやらないおうちっていうのはあんまり見かけないんですね。塾へ通って、いい中学・高校とか行って、給料の払いのいいところへ所属できて、所属でもってサラリーをいただく。それで生活が安定したら、とりあえず軌道ができて幸せなんだって、こうなってますけど、このレールはほとんど崩壊しつつあるわけです。
それをみんながやった結果、昔は世界中をわくわくさせたような商品がいっぱい日本から出てきてましたけど、今はあまり新しい製品とかができないし、経済的な成長もそれほど高いものではなくなってきている。多様化した経済で、サービスとかソフトとかがGDPの大半を占めるようになって、おもしろいものとか、わくわくさせるものとか、あるいは幸福感の追求というような経済の範囲になってて、AIの裏をかかなきゃいけない時代に、困ってるわけですよ。

活動拠点の国際日本文化研究センターの図書館にて

(磯田さん)
今の時代、江戸的な多様さ、価値観の多様さが必要だと思います。
僕は、「江戸の道楽」っていうのがすごい好きなんですよ!道楽の精神っていうのは無償の遊戯性で、必ずそれで何かがもらえるかどうかは期待してないんです。実は明治に近代化できたのは、江戸時代があったから。あの時代は、異様に多様な知識持っています。例えば、筆の真ん中に、命毛になるイタチの毛がありますが、イタチの毛を集めるだけの職人がいました。イタチの毛について語らせたら、もうすごいやつが、その分野にはいるわけです。日本一のイタチ毛を立てる筆をつくるからっていうことで、彼は満足しているんですよ。みんなにもすごい認められている。あいつのつくる筆の真ん中のイタチ毛すごいっ!ていうので、誇りに思ってるわけですね。
明治以降の、あの力強かった日本っていうのは、それが各分野に全部ありました。江戸というゆりかごがあったんです。

(渡邊)
今、令和の時代になって、それが大事になってくるといことでしょうか?
(磯田さん)
はい。受験勉強の我慢大会があってね、基本的に。我慢をひたすらしてみても、発想が価値を生む時代になると難しいじゃないですか。
(渡邊)
じゃあ、その発想を豊かにするためにはどうすればいいでしょうか。
(磯田さん)
それは豊かな体験ですよね。本人自体がおもしろいと思ってないといけないから。上手な道楽、みんなのためにも、自分のためにもなる道楽を追求するという、これが非常に重要なところですね。

豊かな人生を歩むために必要な時間とは

(渡邊)
今の子たちの中で、磯田さんの子どもの頃のように、古墳を追いかけるのが楽しいとか、星を追いかけるのが楽しいとか、歴史に限らず何でもいいんですが、そういう子たちにはどんなことばをかけてあげたいですか?
(磯田さん)
1個だけ言えるのは、ルーティンという英語があるんですけど、それは決まり仕事ですよね。学校に何時に行くとか、あるいは宿題をするとか、これはルーティンであって、決まってやらなければならないことです。誰にも頼まれないし、誰もやってくれって言わないし、そういうことで「何かいつもと違うことをやってみる!」の時間とモノは、持っておいたほうがいいと思う。
要するに、人間の人生の質ってそこで決まりますよね。僕だって、はにわの模型、誰もつくってくれとは言いませんよ。自分で勝手に始めてるんです。このルーティンでないこと、会社の義務でもなく、学校の義務でもないその時間は、将来の日本のためとか、そんなこと考えなくていいので、その人の人生を豊かにする時間。ルーティンでない時間をつくってください。そこに充実度を設けていくことしか、もうこの日本で解決策はないと僕は思ってます。

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