高さが10メートルを超える巨岩が海岸線に沿って一列に並んでいる。波が削り出した自然の造形は「橋杭岩(はしぐいいわ)」と呼ばれ、弘法大師が一夜にして橋をかけようとしたところ、天邪鬼にだまされて夜が明けたと勘違いし、作業をやめてしまったという言い伝えが残っている。本州最南端の和歌山県串本町にあり、多くの観光客が訪れる景勝地でもある。この場所を詳しく調べていくと、過去最大とされる宝永地震を超える大津波が押し寄せていた可能性が浮かび上がってきた。南海トラフ沿いの地形には、過去の巨大地震の痕跡が刻まれている。
波が削り出した橋杭岩
言い伝えでは一夜にして生まれた橋杭岩だが、実際には長い年月をかけて形成された。これまでの研究で判明している橋杭岩の歴史はこうだ。海底に泥が堆積して泥岩の地層ができた後、1400万〜1500万年ほど前に地下からマグマが上昇し、泥岩の地層に貫入して冷えて固まり、火成岩の岩脈となった。辺り一帯が隆起して地上に露出すると、波食(波の作用)によって軟らかい泥岩が削り取られ、平たんな波食棚ができた。火成岩の岩脈は波食を耐え抜き、海から突き出た「橋杭」として現在も残っている。
波食棚の上には、大小さまざまな岩石が散在している。1000個以上ある岩石の大きさは最大で7メートルほど、重さは200トンを超え、人力ではびくともしない。こうした岩石は橋杭岩と同じ種類の火成岩からなり、橋杭岩の一部が砕けて散らばったものだ。波食棚はほぼ平たんな地形が続いているため、その上に岩石が落ちただけでは、陸側には転がっていかない。散在している岩石は通常の波の力ではほとんど動かず、地震の津波や台風の高潮といった大きな波に押し流されて運ばれたと考えられてきた。
台座に載った岩石
橋杭岩を調査した産業技術総合研究所の行谷佑一上級主任研究員は「散らばった岩石は、毎年のようにくる台風の高潮ではほとんど動かず、数百年に一度の巨大地震による大津波で運ばれたと考えるのが合理的だ」と語る。
その理由のひとつは、岩石の足元にある。岩石は平たんな波食棚に散在しているが、その直下は少し盛り上がって台座状になっていた。これは波食棚の泥岩が波食で削られる一方、岩石の直下は波食を免れていたことを示す。行谷上級主任研究員は「泥岩が軟らかいとはいえ、数年では台座状には削れない。少なくとも数十年、おそらく数百年単位の長期間にわたって波食が積み重なった結果だろう」とみる。
これだけでは極めてまれな超大型台風による高潮の可能性も捨てきれないが、少なくとも近年の観測では岩石は動いていない。2012年の台風17号は紀伊半島沿いを北上し、この地域で記録が残る1951年以降の観測では最大級となる高潮が発生した。この台風が通過する前後で地形を測定し、岩石の位置の変化を解析したところ、動いていたのはとても小さな岩石だけで、大きな岩石はすべてその場にとどまっていた。これらの岩石は津波が運んだ「津波石」である可能性が高い。
宝永地震でも動かず
台風で動かないとしたら、どれくらいの規模の津波が起きたときに岩石が動くのだろうか。南海トラフで過去最大とされているのは1707年の宝永地震だ。このとき発生した津波をシミュレーションし、橋杭岩に到達したときの高さや流速を計算した。重さが異なる4個の岩石を実際に引っ張り、岩石と地面の静止摩擦係数も求めた。津波からの力が最大静止摩擦力を超えたときに岩石が動くと判定する。
当時の状態もできる限り考慮した。例えば、海岸に残る生物遺骸の痕跡などから、宝永地震が発生した時期は、海面が現在より1.3メートルほど高かったと考えられている。また、巨岩は動く前には今より橋杭岩寄りのところにあったはずだ。厳密にはその位置で計算すべきだが、当時の場所はわからないため、橋杭岩のすぐそばにあった場合を想定した。どちらの想定も津波が岩石を動かす力が大きくなるように働く。
地震を再現する複数の計算モデルを使って計算すると、そのすべてにおいて多くの岩石が動いた。ただし、特に大きな岩石は動かず、その場にとどまった。さらに、宝永地震を上回る規模の巨大地震を想定し、岩石が動くかどうか調べた。プレート境界のすべり量を宝永地震の2倍にして計算すると、宝永地震の津波ではびくともしなかった大きな岩石が動いた。プレート境界のすべり量が宝永地震と同じで、その近くに存在する分岐断層が同時に14メートルほど動いたとして計算すると、大きな岩石も含めてすべて動くことがわかった。宝永地震で動かなかった岩石を押し流す力をもつ津波が、別の地震によって起こった可能性は十分にあるというわけだ。
津波石が語る「想定外」
行谷上級主任研究員は「別のシナリオも考えられるが、シミュレーションの結果は、過去最大とされた宝永地震を超える巨大地震による大津波が到達したことを示している」と語る。波食棚に散在する津波石は、これまでに知られている地震の規模からみて「想定外」となるような大津波が到達する可能性があることを私たちに教えてくれているのだ。
「別のシナリオ」のひとつは、より局地的な現象が引き金となる場合だ。橋杭岩から近い紀伊半島沖で、地震によって大規模な海底地滑りが発生すると、この地域だけに特に大きな津波が到達していた可能性がある。行谷上級主任研究員は「現状では避難想定の見直しにつながるような強い証拠とはいえない。南海トラフ沿いの別の地域でも地質学的な痕跡を集めて、それらとあわせて検証する必要がある」と語る。
(日経サイエンス編集部 遠藤智之)
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