「インタビューここから」見逃し配信
(吾妻)
佐久間さんの仕事のポリシーを見聞きしていくなかで「自分の仕事で芸人さんたちの人生をスベらせたくない」ってすごく印象に残っていて。その心っていうのは?
(佐久間さん)
本当のおもしろさが伝わっていない芸人さんとかをたくさん見てるんですよ。この20年のうちに。その人たちが1人でもいいから売れてくれたほうが僕の人生は楽しいなって思います。彼らが活躍する姿を見たいっていうのがいちばんで。僕がディレクターとしてやっていられるうちは、できるだけそういう人たちを「おもしろいですよ」って世の中にどんどん出すというのをやりたいなと。だから一期一会でスベらせたくないなって思うんですよね。
(吾妻)
でも何がヒットのきっかけになるかっていうのは分からないわけでしょう。
(佐久間さん)
正直分からないです。考えて考えて、この人のおもしろさは、この部分を切り取ったらたとえば配信だと見てもらえるんじゃないかとか、地上波だとここまでだったら彼のおもしろさは新しく見えるんじゃないかとかって考えるけど、最終的には現場で起きることなんで。
(吾妻)
「佐久間さんは自分も気付かなかった良さを引き出してくれる天才だ」っておっしゃる出演者も多いというのはなんででしょうね。
(佐久間さん)
僕自身が福島県いわき市でエンタメに憧れて東京を見ていて、自分の足りないところばかりを見ていた人間だったんです。もともとはネガティブでクリエーターになれると思っていなかったし。なんか今風のことばで言うと“陰キャ”だったかもしれない。そういう人間にしか見つけられない、人の隠された魅力っていうのはたぶんあるんだと思うんですよね。
“剣道”から生まれた演出ポリシー
東京から北へおよそ200キロ。佐久間さんが高校卒業まで過ごした、ふるさと・福島県いわき市に、いまの演出の原点があります。幼いころに習った“剣道”です。およそ30年ぶりに、幼稚園から小学6年生まで通っていた剣道場を訪れました。
(佐久間さん)
集中するっていうことと、自分の弱い部分と向き合うってことの大事さが剣道で分かったんで、いまだに剣道には感謝しているんですけど…。なにせ得意じゃなかったんで、情けなかったですね。
(吾妻)
情けなかった?
(佐久間さん)
僕、人のことをたたけなかったんです。気持ちいいとは思えなかった。剣道って、気持ちよく1本取れないと結構痛いんです。「うわあ、ごめん」って思っちゃって次にいけないみたいな性格だったのを、やってから気付いたんですよね。大会には4年生ぐらいから出たんですけど、それで「はっ…ダメだ」って気付いたんですよ。こんなに一生懸命やって好きなのに、全然勝てないって気付いて、それがもしかしたらいちばん最初のすごい挫折かもしれないですね。
(吾妻)
挫折になるんですか?
(佐久間さん)
こんなに時間かけて頑張ってきたはずなのに得意じゃないんだっていうのに気付いたのはやっぱりショックでした。
そのときに、人と勝ち負けがつくもので争うことがあんまり得意じゃないって思ったんですよ。自分が勝つってことは誰かが負けることだから。それが得意じゃない。もしかしたら社会的にもう負けたって言われた人とか、なかなか復帰ができない人に、なぜか僕は興味があるというか。その人のおもしろいところを引き出したくなるんですよね。それの原点も、たぶん勝ち負けが得意じゃないって剣道場で気付いたことかなと思いますね。果たして勝ち負けって、もうついてますかねって思う。
だから、少なくとも僕だけはその人をおもしろがったりしようとか、あとは売れてなくて「もうこのキャリア終わりかな」と思ってる人を、俺は「そんなことないと思うな」っていうことにモチベーションを感じるようになった。それは、もともと自分は勝ち負けが得意じゃなかったからだと思いますね。勝ち負けじゃない世界って何だろうなって思ったときに、おもしろいものでみんながゲラゲラ笑ってるもののほうがすごく幸せだなと思って。それでエンタメの世界にどんどん入っていったんです。
人を幸せにするエンタメの世界。中学・高校時代は休日に何時間も書店に入り浸るなど、エンタメによりひかれていったと振り返ります。
(佐久間さん)
思春期の時は書店に入るたびに宝石箱の中に飛び込んでいる感じがしました。だから、どれを読んでもおもしろい。知らないものがこんなにある。うわーっと思いながらうろうろ歩いて、知らない漫画家さんの本を開けるんですけど、それで「うわ、おもしろい」「おもしろ」って声出して笑っちゃったりしていました。
(吾妻)
読んでいて「えっ、思ってたのと違う」ということはなかったんですか。
(佐久間さん)
感じたことないですね。どんなものでもおもしろいって思えていたのかな。それか、自分の失敗を認めないかのどっちかですけど(笑)。でも、本当にぜんぶおもしろかったという記憶がありますね。
夢と現実の狭間で
一方、高校時代、自分が本当にやりたいことは何かを考え、夢と現実の狭間で心が揺れ動きます。
(佐久間さん)
僕が好きなカルチャーはメインストリームとはちょっと違うんだっていうふうに思ったんですね。少年漫画よりも青少年の漫画だったり、舞台だったり。でも、そういうものを好きになるほど、自分が東京にいないのがすごいコンプレックスになってきて。
(吾妻)
楽しい思い出ばかりではあるけれども、どうやったら東京に行けるのかということもあわせて考えていたということですか。
(佐久間さん)
そうですね。自分がおもしろいと思うものとか、自分に生きる力をくれたものとかに関わりたいけど、それは無理なんじゃないか。いや、でも、やっぱり関わってみたい、おもしろいものを作ることに。やっぱり無理なんじゃないかと繰り返していた高校3年間でした。
(吾妻)
それでも頑張れたのはなんでですか?
(佐久間さん)
僕は自分で佐久間宣行っていう少年がエンターテインメント界で活躍するというSFを描いていたみたいな感じだと思います。得意なものもあんまりなくて、地方にいて、情報もなくて。でも、こういうことがあったら、もしかしたら夢の創作活動とかにちょっとでも近づけるんじゃないかっていうSFを自分の頭の中で組み立てて。それを本当にするためだったら、こういう努力しなきゃいけないなとか考えたんです。それが今の僕の作風になっていったんだと思います。
おもしろくないとか、好感度が低いと思われている人かもしれないけど、そういう人たちにも僕にしか見つけられないおもしろいものがある。おもしろがる人は10%もいないかもしれないけど、おもしろいと思ってもらうためのことは僕だったら出来るかもしれない。僕にしか出来ないメソッドとか、僕にしかない目線があるから。
それに気付いたのは芸能界のメインストリームにいなかった関東の同世代の芸人さんたちと出会ったときでした。「なんで売れてないんだろう。こんなにおもしろいのに」と思ったのがきっかけで。もしかしたら、こういう人たちと一緒にメインストリームに向かうまでの仕事のために、僕は憧れから遠巻きにメインカルチャーを見ていた人生を送ってきたんじゃないかって思ったんです。自分のなかで全部つながった感じがしました。
僕だから見つけられる
「自分の良さも他人の良さも見つけられる」福島での経験がいまの佐久間さんを支えています。自身が思い描くエンタメを追い求めていきます。
(佐久間さん)
自分の経験でいうと、僕がおもしろいと思って言ったけど、キョトンとされたり理解されなかったりしたことのほうが、ヒットコンテンツになってるんです。どういうことかというと、みんながおもしろいと思うアイデアって、だいたいもうあるんですよね。みんなが共通で分かるから。でも「僕これおもしろいと思うんだけど」って言ったもののおもしろさが伝わるようにすると、無いもののおもしろさになる。だから僕はうまくいってないもののほうに可能性があると思うんです。僕だけのその人のおもしろいと思ったものをどう伝えようかなって考えると企画が浮かぶし、それが伝わったときはその人が世の中に見つかっていくんです。
(吾妻)
テレビプロデューサー・佐久間宣行さんは、もっとエンタメと触れたいんだと渇望していた宣行少年に対して「今の自分はこうだぞ」と胸を張れるところまで来ましたか。
(佐久間さん)
僕がトップのプロデューサーだと全然思わないんですけど、でも、いくつかテレビの年表に残ることはしたし、あとは僕というプロデューサーがいなかったら世の中に出てきていないタレントさんも、いずれは出てきたかもしれないですけど、その時期がちょっと早まったりとかという仕事ができたなと思います。だからバラエティーが好きな宣行少年がゲラゲラ笑って見る世界の一員にはちゃんとなれたかなと思いますね。
(吾妻)
これからどういうふうにしていきたい自分がいますか?
(佐久間さん)
いろんなものが売れていくときに結構ルートが決まってきちゃってる気がするんですよね。世の中に出るための。それがあんまりおもしろくないなと思っていて。僕はもっと訳分からない人が跳りょうばっこする世界であってほしいんすよ、エンタメの世界って。だから、跳りょうばっこしてほしい、どこから来たの君?みたいな人を見つけてくる仕事を僕はやりたいなと思っています。
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