水俣病の被害者団体が発言中にマイクを切られた問題で、8日に環境大臣が熊本に入り、直接謝罪しました。被害者側は、環境省の対応が形骸化していると怒りをあらわにしています。
■「持ち時間」3分過ぎたら…内々に決定
伊藤信太郎環境大臣「水俣病は、環境省が生まれた原点です。ですので、環境省の大臣として、このことをいかに大切に思っているか、お伝えしたいと思います」 問題発生から1週間。大臣自ら、再び水俣市を訪れる事態になりました。
発端は5月1日でした。
水俣病患者連合 松崎重光副会長「私はいつも家内と話していました」 環境省の担当者
「申し訳ございません。お話をおまとめください」
司会者が水俣病の関係者の話を容赦なくさえぎります。さらに…。
松崎副会長「妻の…妻の…」 会場の声
「切られた、スイッチが」 会場の声
「聞いてやれーな、大臣」 問答無用でマイクのスイッチが切られました。それぞれの発言者の「持ち時間」は3分で、それを過ぎれば“マイクを切る”と内々に決めていたためです。 会場の声
「マイクを切ったことについては、どう思われますか?」 伊藤大臣
「私はマイクを切ったことについて、認識しておりません」
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■室長が謝罪 急転直下…大臣もUターン■室長が謝罪 急転直下…大臣もUターン
改めて意見交換の場を求めて、8日に関係団体が会見を開きました。 水俣病の関係団体「直接、室長が皆さんにおわびしたいと、1時間ぐらい前から来ていて」 姿を見せたのは、5月1日の懇談の場で司会をしていた、環境省・特殊疾病対策室の木内哲平室長です。 水俣病の関係団体
「松崎さんが切々たる思いで、亡き妻とその苦しみを語られた。そこを『もう時間です』と言わなくちゃいけなかった時、あなたの心は痛みましたか?」 木内室長
「発言の途中で切ってしまったことは、大変お気持ちを傷付ける不適切な行為だったと反省しています」 もともと、木内室長だけが謝罪に出向くはずでした。 木内室長
「まずは、私が行って謝罪するようにと指示を受けている」 しかし、急転直下。伊藤大臣も水俣にUターンすることになったのです。 伊藤大臣
「心からおわび申し上げたいと思います」
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■「3分でしゃべれとは」関係者は憤り■「3分でしゃべれとは」関係者は憤り
そもそも、「環境省」の前身である「環境庁」は、水俣病などの公害に対応するためにつくられました。関係者からは厳しい声が上がりました。
水俣病の関係団体「環境省の歴史に、消し難い汚点を残したのではないかと」
また、マイクを切る以前に「3分間」という設定に、疑問を呈する人もいます。
水俣病の関係団体「何十年もの間、私たちは苦しんできました。その思いを『3分でしゃべれ』とは、どうしてそういうことが言えるのか」 伊藤大臣
「ひょっとしたら、10分でも足りないと思います。(ただ)最終の飛行機に乗るには、たぶん、あれがリミットだったと思う」
マイク切りの理由は、“帰り時間”のためだったのです。
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■現地に1泊、「5月1日」以外の懇談も検討■現地に1泊、「5月1日」以外の懇談も検討
68年前、水俣病が公式に確認された5月1日は毎年、午後から慰霊式が行われ、その後、分刻みで予定が組まれます。そして、新幹線と飛行機の時間に合わせて、その日のうちに帰る過密スケジュールでした。
水俣病の関係団体「何のために懇談会をしているのか、全く分からなくなっている。非常に形骸化している。なぜこれ(懇談)をやっているんだと、もう一回考え直しましょう」 水俣病の関係団体
「そういった場は設けていただけますか?」 伊藤大臣
「設けるように“努力”します」 水俣病の関係団体
「“努力”ではなくて、設けていただけますか?」 伊藤大臣
「最大限“努力”します」 水俣病の関係団体
「できるかできないか、するかしないかは、大臣が決めていいんですよ。そういう立場じゃないですか」 伊藤大臣
「設けます」 伊藤大臣は来年以降、現地に1泊することや5月1日以外での懇談も、検討する考えを示しました。 伊藤大臣
「環境大臣として、多くそれが実現できるように、しっかり進めてまいりたい」
(「グッド!モーニング」2024年5月9日放送分より)
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