南九州一の繁華街、鹿児島市の天文館を月に1回パトロールするボランティア団体がいる。活動は35年以上にわたって続けられ、パトロール回数は1000回を超えた。団体の代表を務めるのは76歳の男性。「街の灯台守」としての姿は天文館を心から愛する気持ちに満ちていた。
天文館の夜を守るボランティア
2024年4月20日、午後11時の天文館。アーケードの入り口にある御着屋交番の前に黄色い制服を来た人たちが集まった。NPO法人クリーンパトロール鹿児島のメンバーだ。
この記事の画像(11枚)天文館の治安を良くしたいとボランティアで街の見守りを続けてきた。メンバーは天文館でお店を営んでいる人たちや、中には地域外から参加する人もいる。
この日は天文館のメインストリート、文化通りに倒れ込んでいる酔っぱらいの介抱や、アーケード内の至る所に書かれた落書きのチェックなどを行った。
35年以上のパトロールとその始まり
彼らがパトロールを始めたのは35年以上前。代表の高田秋穂さんは「暴力沙汰が多かった」と発足当時を振り返る。(※高田さんの「高」は「はしご高」)
若者による暴走行為や深夜徘徊など治安が問題視されていた当時の天文館。鹿児島テレビが30年以上前に取材した映像にはアーケード内で若者と警察がもみ合うシーンも残されている。
そんな天文館の治安をよくしたいと、立ち上がったのが高田さんたちクリーンパトロール鹿児島のメンバーだった。暴走族のたまり場となっていた天文館地区の道路が、全国で初めて防犯モデル道路に指定された1988年7月からパトロール活動が始まった。
発足から2年経った1990年の活動に密着した際の映像には、深夜に徘徊する若者に声をかける高田さんの姿があった。現在は月1回のパトロールだが、当時洋服店を経営していた高田さんは発足から3カ月間、毎晩徹底して補導や防犯活動を頑張った。「治安悪化が進行した状態から街を浄化するのは大変だった」と語る。
パトロールを始めて15年がたった2003年。天文館地区に大きな転機が訪れた。通り会などが中心となって、街に防犯カメラを導入した。犯罪の抑止や後を絶たない落書き対策のために設置されたが、行き交う人のプライバシー保護の観点で賛否が分かれた。
そんな中クリーンパトロール鹿児島では街頭アンケートを実施し、防犯カメラが適正に運用されているかチェックしてきた。その後も犯罪や非行防止のパトロールを続けつつ、2007年には天文館近くにできた暴力団事務所の撤退運動にも関わる等、天文館の治安を守るための活動を継続してきた。
笑顔を守る理由と引き継がれる“天文館愛”
天文館の街を照らす灯台守として35年。この日はビルの落書きを消す作業が行われた。
1000回を超えるパトロールをなぜ続けてこられたのか、高田さんに聞くと、「やっぱり天文館は鹿児島県の顔。この顔が暗くなったり、笑顔がなくなる状況は好ましくない。笑顔で楽しく遊べる天文館にしたい」と、その理由を語った。
メンバー最年少、27歳の兼﨑連二郎さん。天文館地区で事業を手がける兼﨑さんは2023年12月から「天文館を陰ながら守っているということに引かれて」パトロールに参加。兼﨑さんは、若い世代もふらっと集まりやすい環境を目指している。天文館を守ろうという思いは、次の世代にも引き継がれていた。
ゴールデンウィークが明け、穏やかに人が行き交う天文館。コロナの影響か、空き店舗は一層、目立つようになった一方で、外国人観光客の姿も多く見かけるようになった。
最近の天文館について高田さんは「治安の状況が確保され、(外国人観光客等に)楽しく観光をしてもらっているのが目に見えて分かる」と語る。
最後に高田さんにとって天文館とはどんな場所か聞いた。
高田秋穂さん:
仲間と共に育てられた街。恩返しをさせてほしいという思いで街の活性化に向けて努力させてもらっている。天文館は笑顔のある、慈愛のある街。みんなとチームを組んでやっていけたら。大好きな街です。
安心安全な天文館を守るために街の灯台守の活動はこれからも続く。
(鹿児島テレビ)
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