ノーベル平和賞授賞式は、広島の高校新聞部員たちに非常に貴重な経験となった。被爆者の思いを受け止め、“自分事”として、未来へどうつなげていくかを模索する彼らは、被爆80年を迎える節目に、「平和のバトン」をつなぐ責任を実感したようだ。

被爆体験を“自分事”として

ノーベル平和賞の授賞式に向け、広島の崇徳高校新聞部の2年生・合田陽さんは、特別な緊張感を抱いて取材に臨んでいた。

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合田さんは、「被爆80年特集取材班」の一員としてこれまでも被爆者の声を取材し、その思いを記事にしてきた。

高校の新聞部に入る前まで、合田さんも核の問題をどこか他人事で「核は使われることないだろう」と感じていたという。だが、新聞部の取材で被爆者と向き合う中で、その見方は大きく変わったことを次のように話す。

崇徳高校新聞部 2年生・合田陽さん:
被爆者の方と直接話すうちに、これは“自分事”として考えなければならない問題だと強く感じるようになった。

合田さんはノーベル平和賞授賞式を平和資料館の会場でリアルタイムで見て、そこにいた被爆者が若い世代に何を期待するかを取材した。

取材を受けた被爆者からは、核兵器の存在は「忘れてはいけない問題で、常にそういう危険が我々の背中にはあり、それを許してはいけない」と過去の被爆と今ある核の脅威は表裏一体ということを若者に認識してほしいという声が聞かれた。

また別の被爆者からは「こういう風に取材者としてどんどん記事に出している人はわかるが、一般の高校生はまだまだ意識が低い」と若い世代の関心を喚起する必要性を訴える声も出た。

「直接話を聞ける最後の世代」

授賞式での日本被団協の田中熙巳さんの20分間のスピーチが、合田さんに深い印象を残した。田中さんは、長崎での自身の被爆体験を語る中で、核兵器が人々の日常だけでなく、人間らしい心さえも一瞬にして奪う非人道的なものであると訴えた。

合田さんは「田中さんの言葉から、戦争がいかに人間性を破壊し、核兵器が許されないものであるかを痛感した」と語る。

被爆者の平均年齢が85歳を超える中、合田さんたちは「直接話を聞ける最後の世代」としての責任を強く感じているという。

「できるだけ多くの被爆者の方にお話を伺い、それを記録、記憶として、次の世代に継承していきたい」と合田さんは決意を新たにしていた。

被爆者から未来への「平和のバトン」

新聞部員たちは授賞式の時間に平和公園近くのカフェでも取材をし、多くの視点から被爆者や関係者の声を集めた。

この取材を通じ、核兵器廃絶への取り組みをどう発信していくか、自らの言葉で考え記事にまとめていく。

ノーベル平和賞の授賞式は、核廃絶を目指す国際社会に大きなメッセージを発信する場となった。被爆者の声を直接聞いた高校生たちは、平和のバトンを受け取り、未来へとつなげる役割を担う。

合田さんは「この受賞をどうつなげていくかが私たちの使命」として、被爆者の思いを“自分事”として受け継いでいく決意を新たにしていた。

日本被団協のノーベル平和賞受賞は、全世界の若い世代に核兵器使用の可能性が、決して遠い世界ではなく、身近にも起こりえるものとしてとらえ、考える機会を与える契機となった。

(テレビ新広島)

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