日光東照宮と日光二荒山神社、それに輪王寺からなる「日光の社寺」は、貴重な建造物が100棟以上あることや、周辺の自然と一体化して独特の景観を作り出していることなどが評価され、1999年12月4日にユネスコの世界遺産に登録されました。

日光市は、世界遺産に登録される前は、観光客の減少に悩まされていましたが、登録後は地元の観光活性化の取り組みなどが実を結び、市内を訪れる観光客はコロナ禍の前まで7年連続で1000万人を超えるなど、国内有数の観光地としてにぎわっています。

一方、市内で宿泊する人の数は横ばいの状態が続いていて、観光客全体の3分の1ほどにとどまっています。

市では首都圏から日帰りで訪れる人が多いことが背景にあるとして、観光地全体の魅力をどう向上させ、宿泊につなげていくかが課題となっています。

日光市観光協会の福田栄仁事務局長は、「社寺の見学に加え、奥日光の自然を楽しむなどさまざまな目的地に訪れてもらうことで、観光客の滞在時間を伸ばしていきたい」と話していました。

「日光の社寺」文化財の修理や保存は

「日光の社寺」が、世界遺産に登録された際には、貴重な文化財の修理や保存が、長年にわたり、地元の職人の手で行われてきたことも、高く評価されました。

これらは、日光市内の職人などからなる「日光社寺文化財保存会」が担当していて、天然の鉱石や貝殻などの顔料を使った彩色や漆塗りなど、江戸時代と変わらない工程で、作業にあたっています。

世界遺産に登録されている建造物は、合わせて103棟もあることから、これらすべてを後世に伝えていくためには、絶え間ない作業が欠かせないということです。

こうした努力などを広く知ってもらいたいと、日光市はことし、103棟の建造物のすべての名称や場所が書かれた地図を新たに制作しました。

日光市で社寺の保存や活用に携わっている文化財課の北山建穂係長は、「103棟もありますので、すべてを一度に見ることはできず、必ずどこかの建物が修復中になっています。貴重な文化財を50年後も100年後も伝えていくためには、地元の住民の理解のもと、こうした作業をずっと繰り返していくことが重要です」と話していました。

世界遺産登録に携わった元職員は

「日光の社寺」がユネスコの世界遺産に登録された当時、栃木県文化財課の課長を務めていた長島重夫さん(80)は、数年前からさまざまな資料作りに加えて、国や地元の関係者との協議に奔走していました。

中でも最も大変だったのは、地元、日光市の神社や寺などの関係者から、世界遺産への推薦に向けた同意を得ることだったといいます。

当時、関係者の間では、世界遺産に登録されると、文化財としての価値がさらに上がるため、建物の修繕や保存の作業が以前より大変になったり、観光客に自由に見物してもらえなくなったりするのではないかと疑念を持つ人が多くいたということです。

このため長島さんたちは、1997年11月、神社や寺の関係者およそ20人に集まってもらい、「世界遺産のPR効果は絶大で、観光客が今よりもずっと多く訪れるようになる」とメリットを説明しました。

そのうえで、およそ3時間にわたって、疑問や反対の声に答え続けた結果、全員に納得してもらうことができたということです。

それから2年後の1999年12月2日の未明、日光市役所の市長室に集まって登録決定の知らせを聞いたときは、関係者全員でバンザイをして喜びを分かち合いました。

このときの気持ちについて、長島さんは「うれしいと同時に、これからは世界に認められた文化財の保存に一生懸命つとめなくてはいけないと思った」と振り返りました。

長島さんは県庁を退職したあと、今は大学の職員として、日光市のまちづくりの取り組みに携わっています。

改めて、世界遺産の登録から四半世紀を迎えることについて、「これだけの財産があるのは県民にとって幸せなことだと思う。地元を活性化させるため、有効に生かしていかなければならない」と話していました。

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