防衛省によりますと、陸上で発見され、自衛隊が対応した不発弾の処理件数は、このところ千数百件から二千数百件で推移していて、2023年度は、2348件にのぼっています。

こうした中、総務省は、地中に埋まった不発弾の探査や発掘を行う自治体の負担を軽減し、処理を促進するため、1973年度から「不発弾等処理交付金」を設けていて、内閣府が別に交付金を出している沖縄県以外の自治体に対し、地上に出てない不発弾を対象に、探査などにかかる経費のうち最大で半分を補助しています。

この交付金について、2014年度から2023年度までの10年間に交付された件数が5件にとどまっていることが、総務省への取材でわかりました。

2024年も、これまでのところ交付はありません。

交付金の予算は毎年、数千万円から1億円余りまでの幅で計上され、2023年度までの10年分では、合わせて4億8700万円に上りますが、実際に交付されたのは3220万円と、わずか7%ほどとなっています。

また、交付金に関する自治体からの問い合わせ件数は、2023年度までの10年間に83件で、このところは、発見済みの不発弾が交付の対象になるかどうかなど、交付金制度の内容に関する問い合わせが、ほとんどだということです。

大阪 吹田市で不発弾対応の検証を行った経験がある、日本大学危機管理学部の中林啓修准教授は「自治体は、相応の労力が必要な探査をあえて行う必要があるのかという考え方になっているのかもしれない。しかし、不発弾を含めて、戦争の傷痕が見えにくくなっているだけで、消えたわけではなく、持続的に処理できる仕組みを改めて考える必要があるのではないか」と話しました。

総務省は「埋没する不発弾等による災害を未然に防止するという制度の周知を図り、引き続き、地方公共団体からの相談等には真摯(しんし)に対応していく」としています。

交付金を利用した自治体は

埼玉県の三芳町は、7年前の2017年11月に、国の交付金を使って町内の畑に不発弾が埋まっていないか探査を行いました。

町によりますと、当時、住民から「戦時中、爆発しなかった爆弾を埋めてしまった」という証言が2人から寄せられ、アメリカ軍の資料を確認したところ、証言にあった場所付近に爆弾を投下したという記録が見つかったということです。

このため、交付金の利用を申請し、地面に穴を掘る「鉛直磁気探査」という方法で不発弾を探しました。対象のエリアは、交付金が利用できる100平方メートルの範囲で、深さ6メートル70センチの穴を掘って1週間にわたって金属類の反応がないか調べたということです。このとき、不発弾は見つかりませんでした。
探査にかかった費用はおよそ840万円で、国からは210万円ほどが交付され、残りは町が負担したということです。

交付金は、費用の面で後押しになった一方、対象となる探査の範囲が限定されていたり、見つからなかった場合に交付される額が減ったりと、難しさを感じる部分もあったということです。

当時、探査を担当した三芳町の新井淳子主幹は「交付金が出たことはありがたかったですが、国から指定された探査の範囲が狭かったです。証言者の記憶も微妙に異なっていたため、もう少し範囲を広げて探査できていれば、結果は違ったのではないかと感じています。見つからなかった場合は、交付金が費用全体の4分の1になるなど、自治体の負担は大きく、探査を行うのは大変な作業だと感じます」と話しました。

相次いで不発弾が見つかった名古屋市では

名古屋市では10月に、中区と東区の工事現場でアメリカ製の不発弾が見つかるなど、5年前の2019年以降、7発の不発弾が相次いで見つかっています。いずれのケースも工事中などに偶発的に見つかりました。

名古屋市によりますと、現時点では、ほかにも不発弾が埋まっていないかどうかを調べるための探査や発掘を行う予定はなく、このため、国の交付金の活用も検討していないということです。探査を行う予定がないことについて、市の担当者は、ビルが建ち並ぶ状況で地中を調べるのは難しいとしています。

交付金については、以前、総務省に相談した際、正確な目撃証言があるなど、不発弾が埋まっているという確証が必要だなどと伝えられたということで、利用の条件が厳しいと話しています。今後、具体的な証言などがあれば、探査を検討したいとしています。

また、処理や撤去の際に必要な警備や広報などの費用の半分は、国から特別交付税として交付される仕組みがあり、これまでも申請しているということです。

名古屋市では太平洋戦争中63回の空襲

名古屋市では、太平洋戦争中の1942年から1945年の3年余りの間にアメリカによる空襲が63回あり、およそ8000人が犠牲になりました。

なかでも終戦の年の1945年3月には、3回にわたって大規模な空襲があり、名古屋市史によりますと2962人が亡くなりました。

10月に中区で発見され、30日に撤去される予定の不発弾は、全長1メートル23センチ、直径36センチ、重さ250キロのアメリカ製の焼い弾で、専門家によりますと形状などから1945年3月の空襲で投下されたものだとみられるということです。

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