11月28日、大分地裁。
時速194キロという猛スピードで交差点に突っ込み右折車に激突、運転していた男性を死亡させた被告(事故当時19歳)に懲役8年の判決が言い渡された。
「やっと認められた…」
判決で危険運転致死罪が認定されたことを受けて、そんな思いを口にしたのは25年前、東名高速道路上での飲酒トラック追突事故で娘2人を失った井上保孝さん郁美さん夫妻だ。
判決公判が行われた11月28日は、奇しくも井上さん家族の事故が起きてちょうど25年目。
つまりこの日は、娘の奏子ちゃん(かなこ・事故当時3歳)、周子ちゃん(ちかこ・当時1歳)の命日に当たるのだ。
そしてそれは、事故から2年後に「危険運転致死傷罪」が創設された日でもある。
「今日という日は運命的に用意されていたのかと思いました」(保孝さん)
自分たち家族の事故がきっかけで生まれた危険運転致死傷罪。
それが時速194キロという“高速度”の事故で適用されるかどうか、25年後の裁判で問われた。
そして裁判所は「適用」という判断を下した。
四半世紀の間、同じような事故で苦しむ被害者や遺族に寄り添い、支えてきた井上さん夫妻。
娘たちの命日に下された判決をどう見たのか。
(テレビ朝日報道局 佐々木毅)
■ 検察の判断で「遺族が苦しめられている」
判決後、遺族らとともに記者会見に臨んだ井上さん夫妻(11月28日)「今回裁判所が、『制御困難な高速度』について明確に危険運転致死罪が成立すると認めたこと、これは危険運転致死傷罪ができた原点に立ち戻った…そういう悪質危険な運転については『故意犯』なんだということを、やっと裁判所も認めてくれのだと思いました」
判決公判後の記者会見で、被害者(小柳憲さん)の姉・長文恵さんの隣に座った井上保孝さんは、感慨を込めてそう語った。
時速194キロを出して事故を起こした被告の行為は「危険運転」だったのか。
一般人の感覚ではあまりに当然のように思えるが、法の世界では見え方が全く違っている。
危険運転致死傷罪の類型のひとつ、「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為」は、適用のハードルが高いことで知られている。
どんなにスピードを出していても、事故を起こすまで真っすぐ走れていた場合に「進行を制御することが困難」だったとはみなされず、裁判所が危険運転致死傷罪を認めないケースが相次いでいたのだ。
そうした実情を受け、大分地検は当初、被告を危険運転致死罪(最高で懲役20年)よりも刑がはるかに軽い「過失運転致死罪(最高で懲役7年)」で起訴。
井上さん夫妻たちの支援を受けた長さんら遺族が、署名活動を展開するなど世論に訴えた結果、危険運転致死罪に訴因変更された経緯がある。
井上郁美さんは、こうした検察の態度について、自分のことのように心を痛めていた。
「危険運転致死傷罪という法律は当時、多くの国民の声を受けて国が動いて作ってくれたもの。なのに結局、各地の検察庁がその法律をなかなか潔く使ってくれない、それによって遺族が苦しめられているというのを聞かされると、私たちもいたたまれなくなってしまいます」
■ 危険運転致死傷罪の誕生も11月28日だった
判決公判が行われた大分地裁(11月28日)検察側の求刑が懲役12年だったのに対し、判決が懲役8年となったことについて遺族の長さんは会見で複雑な思いを口にした。
「私にとって良い判決と思うのか、そうでないのかが悩ましい、そういった量刑な気がします」
長さんを支え続けてきた郁美さんも、その心境をおもんばかった。
「裁判長が懲役8年と言い渡したときに、『ああ、長さん、多分今、頭が真っ白になっただろうな』とすごく思いました。私たちの第一審判決は2000年6月だったんですが、そのときの求刑が懲役5年で、私はのんきに(判決も)5年って言い渡されると思っていたところ、まさかの懲役4年で、裁判官の言葉がそのあと入ってこなかった」
当時、自動車の事故はどんなに悪質なものでも業務上過失致死傷罪が適用され、その最高刑は懲役5年だった。
だが、井上さん夫妻の2人の娘を、飲酒運転による追突事故で死亡させたトラック運転手に下された判決は、懲役4年だったのである。
「70年80年と生きられたであろう命の重さに比べて懲役4年というのはあまりに軽いんじゃないか」
一審判決直後の記者会見で大粒の涙を流した郁美さん。
そこから、悪質運転への厳罰化を求める井上さん夫妻の活動が始まった。
そして2001年。
事故が起きたのと同じ11月28日に、危険運転致死傷罪を盛り込んだ改正刑法が国会で成立したのだった。
あの日の一審判決以来、井上さん夫妻が思っていたこと。
「裁判所が使っている物差しと、一般市民が持っている物差しとがあまりにも違うんじゃないかと。法律というものは一般市民の物差しに近づいてきてほしいとずーっと願い続けてきました。なので今回の大分の判決も、一般市民の物差しと裁判所が持っている物差しが近づいてきているのか、離れちゃっているのかということを測る試金石になるかなと思っています」(郁美さん)
そして、答えは出された。
■ 「運命的な」11月28日の判決
大分地裁は、一般道を時速194キロという速度で走行したことは、「ハンドルやブレーキのわずかなミスによって自車を進路から逸脱させて事故を発生させる実質的危険性」があり、「制御困難な高速度での運転」に該当すると認めた。
保孝さんは、懲役8年という量刑について、「人の命の重みをもう少し反映してほしかった」としつつ…
「常軌を逸した高速度で走って事故を起こした加害者に対して、過失ではないというのが裁判でもはっきり示された、やっと認めるようになったんだと思いました」
娘2人の命日、そして危険運転致死傷罪が誕生したのと同じ日に認められた「制御困難な高速度」。
判決の期日が11月28日に決まった時、「偶然以上のものがあると思って身震いした」という保孝さんは、公判後の記者会見でも「運命的だ」と繰り返したうえで、少し微笑みながら、こう話した。
「空で私たちの娘たちがずっとこの法律の行方を見守ってくれているのかな…と。根拠のない話ですが、私たちはそのように思っています」
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