子どもたちと写真に納まる三笠宮妃百合子さま。右から寛仁親王、桂宮、高円宮、百合子さま、千容子さん=1955年10月31日
三笠宮妃百合子さまは旧華族の出身で、大正生まれの最後の皇族だった。18歳で結婚して皇室に入り、三笠宮との間に5人の子どもに恵まれた。 父は貴族院議員だった高木正得子爵。母方の祖父入江為守は、昭和天皇の皇太子時代に東宮侍従長、大正天皇没後に皇太后となった貞明皇后の側近トップを務めた。叔父の入江相政は昭和天皇即位後の侍従長となるなど、皇室と深い関わりがあった。 相政の日記には、家族の催しで踊りを披露する幼い百合子さまの姿が「かわいい、かわいい」と記されている。こうした環境の中で貞明皇后の目に留まり、三笠宮との縁談が進んだ。 結婚は1941年10月。太平洋戦争の開戦目前で、結婚式も三笠宮の兄らに比べ質素だった。 現東京都港区にあった三笠宮邸に住み、44年4月に長女を授かった。激しい空襲の下、赤ん坊を抱えて防空壕に飛び込むこともあった。45年5月に宮邸が空襲で焼けた時は長男寛仁親王を身ごもっていた。その後は防空壕で暮らし、終戦を迎えたという。記事に『リアクション』ができます。ご利用には会員登録が必要です。
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