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183人が犠牲となった水没事故から82年。長生炭鉱の入口がついに掘り起こされ、遺骨収集に向けた、潜水調査が始まりました。

■82年前の炭鉱事故 潜水調査開始

山口県宇部市にあった『長生炭鉱』。当時の写真を見ると、海岸から伸びた線路にはトロッコが走り、船に向けて石炭を運んでいる様子が分かります。今も海上に残る『ピーヤ』と呼ばれる2本の通気口は、全国でもここにしか残っていないといいます。炭鉱の入口は海岸にあり、そこからピーヤの下を通り、沖に向かって長く掘られていたといいます。

事故が起きたのは1942年2月3日。入口から1キロ以上沖で天井が崩れ、坑道は水没。ここにいまだ183人が眠ったままになっています。 長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 井上洋子共同代表                 「これは戦時中の人災事故であるし、石炭産業は国策で進められていたことなので、戦争死という意味では同じ、国に責任があると思っています。この責任は問うていきたい」

1991年から活動を始めた地元の市民団体『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』。ピーヤの保存や追悼集会の開催などを行ってきました。そして今年、クラウドファンディングで集めた資金で掘削工事に着手。掘り進めた結果、坑道の入口を発見しました。事故で閉鎖されてから、82年という時を経て。

長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 森法房さん                     「ずっと、当たり前ですけど(坑道が)下向きに。聞こえるか。坑口が開いたぞ」 市民団体が建てた追悼碑には、犠牲者の名前が記されています。183人のうち、47人が日本人、136人が朝鮮半島出身者です。 宇部市は、石炭産業によって飛躍的に発展した街。いくつもの炭鉱がありましたが、長生炭鉱は深さの浅い海底にあったため、危険な炭鉱だと言われていたそうです。 事故が起きたのは、日本軍による真珠湾攻撃から2カ月後。戦争で石炭の需要が高まるなか、生産拡大が求められていた時です。

今月26日、坑道の入口で追悼式が行われ、日本と韓国の遺族が駆け付けました。

父親を亡くした遺族 常西勝彦さん(82)                      「きょうは坑口に来て、ここで親父が亡くなったんだなと。冷たい水の中に今もいるんだなということを初めて知りまして。これからしっかり供養をしていきたい」 韓国遺族会 楊玄会長                               「いま坑口を開けたからといって、喜びに浸っている時間はありません。犠牲者はまだあの中にいます。これを機に、どうか日本国が(日本)政府が深く考え、遺骨を発掘して、我々に返してほしいです」

今月29日に行われた潜水調査。坑道の様子はどうなっていたのでしょうか。

ダイバー 伊左治佳孝さん                            「透明度がこれぐらいだったんで、あんまり探り切れなかった。22メートルぐらいの所で、パイプとかあって進めなかった。逆にパイプの引き揚げさえすれば、下まで行けると思います」

事故が起きた場所は1キロ沖合ですが、事故の瞬間、どこに人がいたかは分かっていません。すぐそばに遺骨がある可能性も否定できません。30日は初めて、坑道の入口からの潜水調査を行います。

長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 井上洋子共同代表                  「坑口から入るのは、本当に人間が入っていた場所ではありますし、何か手掛かりがあるのではと期待できますので、30日に期待しています」

政府は、長生炭鉱の調査について「海底に水没している状態で、遺骨の埋没位置などが明らかではないため、発掘は困難」という立場を取っています。29日の調査を受け、改めて問い合わせしたところ「遺骨の位置が新たに判明するなど、状況が変わらない限り立場は変わらない」としています。

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