結婚式といえば和装が定番だった時代。当時、ウェディングドレスを着る人は、わずか3%程度だったといいます。
桂由美さん
「97%が着物なんですね。神前で結婚して。“クリスマスケーキ”っていう言葉があって。クリスマスケーキって25日になったら売れ残りでしょ。25歳は売れ残りなんですよ」
桂由美さんが日本初のブライダル専門店をオープンさせたのは1965年。当時、結婚式は格式ばったものでした。
桂由美さん
「一番、結婚の時に決定権を持っているのは花婿さんのお母様。姑さんが大体『よしてウェディングドレスなんて』って言う。『そんな安っぽいもの』って感じ。着物の方が豪華だっていうことで。お姑さんが一言いうとキャンセルが相次いで」
1930年、東京生まれの桂さん。大学卒業後、フランスに留学し、デザインや縫製の技術を学びました。その時、目にした光景。それはウェディングドレスを着た花嫁の姿でした。日本と違い、笑顔あふれるその姿に、やがて、そういう時代が来ると確信した桂さん。日本初のブライダルファッションデザイナーとして、お決まりの結婚式ではなく、もっと女性が輝ける場にしたいと、ブライダル事業をスタートさせました。
桂由美さん
「日本はオーダーでしたから(給料の)6カ月分くらいはたかないと、いいドレスが買えなかった。私は何とかこれをプレタポルテ(既製品)にして、1カ月のサラリーで買えるという目標でやっていた」
360度どこからでも美しく見えることを追求したドレス。1980年代からは、ニューヨークやパリなど世界に進出し、今や日本で結婚式といえばウェディングドレスという時代に。近年は和を取り入れた作品も発表し、常に「女性の輝き」を追い求めてきました。
母校の大学では毎年、ウェディングドレスのショーを開催し、思いを伝えてきました。
共立女子大学被服学科4年 山中美樹子さん
「『ネクストワン、ネクストワン』っておっしゃっていて、次に何を作りたいかをずっとおっしゃっていたので。先生みたいな女性になれたらなって思います」
共立女子大学被服学科4年 松永和子さん
「結婚式の後にも、10年後15年後20年後に着られるようなドレスを力を入れて制作していらっしゃって。新しいものを生み出す力には本当に影響を受けました」
いくつになっても見習うべき姿を見せていたといいます。
共立女子大学被服学科 宮武恵子教授
「ご自宅のマンションの1階で打ち合わせしたことがあるんですが、新聞を読んでおられて『新聞は欠かせないのよ』と。時代がどの方向に向かっているか、敏感に肌で感じている情熱が、デザインに精通するというところで素晴らしいと思いました」
桂さんは亡くなる4日前『徹子の部屋』の収録を行っていました。
黒柳徹子さんのコメント
「いち早くウェディングドレスを日本中に広めた桂由美さん。先週、徹子の部屋の収録にいらした時はとてもお元気でした。その四日後にお亡くなりになったそうです。『まだまだ、することがたくさんあるのっ』て、おっしゃってた桂さん。私も頑張って、作っていただきたかった」
桂由美さん
「年を考えている暇なんか全然ないんですね。私は先を見ているんで、後ろを振り返ったことがないから、長いとか感じたことない」
生涯現役で走り続けた桂さん。26日、94歳で亡くなりました。
桂さんご本人の意向で葬儀の予定はありませんが、後日、偲ぶ会となる追悼ショーを行うことが検討されています。
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