能登半島最北端の禄剛埼(ろっこうさき)灯台(石川県珠洲市)が岐路に立つ。「現役では国内最大の不動レンズ」を備え国の重要文化財(重文)指定を目指していたが、能登半島地震の影響でレンズの一部が崩落した。 明治期から140年以上、日本海を照らしてきた「さいはての灯台」。住民からは、昔のままの復元を願う声が上がる。(井上靖史)

禄剛埼灯台と、近くで育った河崎倫代さん。原型の復旧を望んでいる=いずれも石川県珠洲市で

◆140年以上たっても現役

 禄剛埼灯台は1883(明治16)年に日本海側で3番目、能登半島では最初に造られた灯台。高さ46メートルの断崖上にあり、地上から頂部までは12メートル。光は33キロ沖まで届く。1998年、海上保安庁などが全国公募した「日本の灯台50選」に選ばれ、2009年には経済産業省から「近代化産業遺産」、17年には「恋する灯台」にも認定された。  能登半島の灯台では最も古いレンズを使う。全国の灯台に詳しい公益社団法人「燈光(とうこう)会」(東京都港区)によると、レンズは大きさに応じて1~6等級と等外に分かれる。形状別にみても水銀槽の上で回転させるなど4種類ある。海上保安庁によると、禄剛埼灯台はレンズの高さが2等級(206センチ)だ。レンズを回転させずに遮蔽(しゃへい)板を使って一定間隔で光を点滅させる「不動タイプ」で、現役で使われている海保管理の灯台としては、最大の不動レンズになるという。  能登半島先端の沖合は暗礁が多い難所とされ、禄剛埼灯台を管理する七尾海上保安部(同県七尾市)の担当者は「富山湾に入る変進点になる。航海する人から『湾に入る時に変な波が立つ』と聞く」と話す。レンズが大きいのは、このためだとみられる。

◆復元願う住民、海保はLEDに置き換えを計画

被災前の禄剛埼灯台のレンズ(七尾海上保安部提供、2021年撮影)

 能登半島地震では、建設当初から使われてきたレンズの上部が崩落した。停電の復旧を待って1月26日に再び明かりをともしたが、破損が影響し、光は地震前より弱い。  地震前は重文指定に向け準備が進められていた。20年に犬吠埼(いぬぼうさき)灯台(千葉県銚子市)などが現役の灯台で初めて重文に指定され、明治期の灯台の価値に注目が集まっている。  珠洲市文化財保護審議会委員を3月末まで務めた河崎倫代さん(74)=金沢市=は、曽祖父が灯台守だった。河崎さんは「明治期から使われてきたレンズに価値があると思う」として元通りに復元してほしいと期待する。

被災後のレンズ。外から見ても上部の崩落が分かる

 一方、能登半島沖などを管轄する第9管区海上保安本部(新潟市)の担当者は「大変古いレンズ。修復できる人や部品を探すことも難しい」と言う。壊れた部分は発光ダイオード(LED)電灯に替えて修復する計画という。  修復の手法が文化財指定などに影響するかどうかは見通せない。河崎さんは「今後も能登の貴重な観光資源としていくため、まずは全国のファンに『さいはての灯台』が置かれた状況を知ってほしい」と願う。

能登半島地震による灯台の被害 第9管区海上保安本部によると、能登半島地震の影響で管内では石川県10基、富山県1基、新潟県1基の計12基が消灯した。灯台の傾きも石川県内の7基であるが、いずれもレンズの向きを調整するなどし仮復旧している。これらを5億1900万円の予備費で復旧させる方針が決まり、うち禄剛埼灯台に7200万円を充てる予定。



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