2日午前、不発弾が爆発した宮崎空港がある場所は戦時中、旧海軍の飛行基地があり、不発弾は当時、アメリカ軍機が投下した250キロ爆弾とみられています。

沖縄の那覇空港も同様にかつて旧海軍の飛行場だった場所にありますが、関係者によりますと、3日空港敷地内の立ち入りが制限されていない区域で、アメリカ軍の不発弾とみられるものが見つかり、自衛隊が処理したということです。

さらに、那覇空港では、ことしに入ってから9月末までに、立ち入りが制限された区域内で、不発弾や似たような物体があわせて7つ見つかっていたことが国土交通省などへの取材でわかりました。

航空機の運航が終わった深夜に工事のための調査をしていたところ滑走路脇の地中で見つかり、このうち1つはアメリカ製の「5インチロケット弾」だったということです。

いずれもすぐに爆発する危険性がないもので、陸上自衛隊が処理にあたり航空機の運航に影響はなかったということです。

国土交通省那覇空港事務所によりますと、現在の空港の滑走路や誘導路、それにターミナルビルの敷地内では地中の金属を見つけ出す磁気探査機を使った調査を行っていて、不発弾は取り除かれているということです。

ただ、それ以外はまだ調査ができていない場所もあるということで、那覇空港事務所の担当者は「新たに見つかった場合も自衛隊や警察など関係機関と連携しながら安全に処理していきたい」としています。

沖縄県内の不発弾への対策は

沖縄県内では、道路の建設など公共工事が行われる際、地中の金属を見つけ出す磁気探査機を使って不発弾がないか調べることが義務化されています。

国土交通省那覇空港事務所によりますと、滑走路や誘導路の新設など掘削が必要な工事の際には必ず専門業者に依頼して磁気探査機を使った調査をしているということです。

那覇空港では第2滑走路の建設のため埋め立て工事が進められていた2014年9月から2015年1月までの間にアメリカ軍の不発弾およそ270発が見つかり、海上自衛隊の水中処分隊によって爆破処理が行われました。

一方、国土交通省によりますと、1972年の沖縄の本土復帰にともなってアメリカ軍から返還されるまでの間に不発弾の有無の調査が十分に行われたかどうかはわかっていないということです。

返還された時から運用されていた第1滑走路の近くの地中からは、これまでも不発弾がたびたび見つかっています。

那覇空港 沖縄戦などで米軍から激しい攻撃

那覇空港は、沖縄戦前の1933年、旧日本海軍によって「小禄(おろく)飛行場」として建設されたのが始まりで、完成してまもないころは軍民共用で使用されていました。

しかし「10・10空襲」や沖縄戦でアメリカ軍の空襲や艦砲射撃などの激しい攻撃を受け、1945年に占領されて管理下に置かれました。

その後、1972年に沖縄の本土復帰にともなって日本に返還されました。

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