開業40周年を迎えた三陸鉄道の入社1期生、橋上和司さん(3月29日、岩手県宮古市)=時事

東日本大震災からの「復興のシンボル」である三陸鉄道が開業して4月で40年。入社1期生で旅客営業部長の橋上和司さん(59)は長年、三鉄と苦楽を共にしてきた。「おらほ(わが町)の鉄道であり続ける」。地域住民に寄り添う思いは、開業時から変わらない。

開業日の1984年4月1日、久慈駅発の1番列車の車掌を任された橋上さんは、住民らの熱狂ぶりを鮮明に覚えている。午前3時ごろに出勤すると、駅にはすでに長蛇の列が。それまで鉄道が通っていなかった岩手県田野畑村を列車が走ると、涙を流している人が大勢いた。各駅のホームも乗客らでごった返し、橋上さんは「切符を私に渡せず、そのまま降りた人もいるはずだ」と振り返る。

2011年3月の震災では、津波で駅やレールが流され全線不通になったが、当時の社長は走行可能な一部区間での早期再開を決断。橋上さんがダイヤを組み、臨時列車を走らせた。地震発生からわずか5日後だった。

再開を十分に周知できないまま、走り始めた列車。警笛を鳴らす回数を通常より多くし、走っていることを知らせた。日に日に乗客は増え、災害支援物資も運ぶようになった。「役に立てるのなら、とにかく運べるものは運ぼうと。若い社員にも支援物資は全部受けていいと伝えた」

三鉄が登場する13年放送のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」では、撮影時の対応に当たった。「第三セクターなめんなよ!」。劇中の駅長のせりふは実際に橋上さんが同局スタッフとのやりとりで発した言葉だ。三鉄は14年4月に全線復旧を果たし、あまちゃん効果もあって、14年度の乗客数は前年度から19万人超増加した。

しかし、その後も困難は続く。19年秋の台風19号で全線の約7割が不通になり、復旧後は新型コロナウイルスが流行。沿線人口の減少や燃料費高騰など経営は厳しさを増す。ただ、橋上さんは「40周年を復活元年にしたい」と意気込む。

「一貫して地元の皆さんが応援してくれたからこそ開業40周年がある」と橋上さん。運行本数は多くないが重要な地域の足だ。若い運転手らには「列車が少し遅れるくらいどうってことはない」と言い聞かせる。「時間になったらなりふり構わず走る鉄道でなくていい。(住民に)身近な鉄道であり続けたい」と力を込めた。〔時事〕

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