◆就任前に日本原燃から報酬を得た田中知委員「独立してやってきた」
石渡氏は東京・六本木の原子力規制庁(規制委事務局)で記者会見し「原子力基本法、原子炉等規制法といった法律を守ることが、使命だと思って就任した。炉規法の柱だと思っていた『40年ルール』を外してしまうことに納得できなかった」と振り返った。毅然と「反対」貫いた胸中は
原子力規制委員・石渡明氏 退任記者会見で何を語った? 「悪魔の証明」批判に切り返す<詳報>
原子力規制委員会の委員を退任し、記者会見する石渡明氏。左は田中知氏=東京都港区で(市川和宏撮影)
同じく退任する田中知(さとる)委員(74)も会見。使用済み核燃料の再処理工場などの審査を担当する一方で、就任前に運営する日本原燃から報酬を得ていた。中立性を問われると「明確に仕事の目的とか意味を理解してやってきた。独立してやってきたかと思う」と述べた。 石渡氏は東北大大学院理学研究科教授や日本地質学会長を経て、2014年9月に就任。2期10年務めた。24年9月19日付で、石渡氏の後任に山岡耕春名古屋大名誉教授、田中氏の後任にカナダ・マクマスター大の長崎晋也元教授が就く。(宮尾幹成、山下葉月) ◇ ◇◆石渡明氏が主張し続けた「安全側」の論理
老朽化した原発の長期運転などに異議を唱えたり、活断層の存在を否定できないとして敦賀2号機の再稼働を認めなかったりと、原発推進勢力にとっては障壁ともなってきた石渡明氏が規制委から退く。自民党を中心に原発活用の声が高まる中、今後、規制委が事故のリスクなどに対し、「安全側」に沿った判断を示していけるのかが問われる。 「筋の通らないことは、しっかりと言う人だった。素直に『自然の声』を聞き、審査していたのではないか」。石渡氏と接してきた規制委の幹部はそう評価する。この幹部が例として挙げたのが、規制委が原発の60年超運転に向けた規制制度案を審議した時だった。 石渡氏は昨年2月の臨時会合で「この改変は科学的、技術的な新知見に基づくものではない。安全側への改変とも言えない」と一貫して反対した。 原発の運転期間は、法改正で規制委の審査などで停止した期間分の運転延長を認め、60年超運転を可能とした。石渡氏は「審査を厳格にすればするほど、より高経年化(老朽化)した炉を運転することになる」と苦言。だが、他の4人は賛成し、規制委は多数決で認めた。規制委の決定は全会一致がほとんどで異例の決着だった。 敦賀2号機を巡っては、石渡氏は現地で地質に直接触れて精力的に調べた。まとめた審査書案では「(原電の)評価は安全側とは言えない」との文言を繰り返し原電の主張を退けた。 とはいえ、石渡氏によると再稼働を認めなかったのは敦賀2号機の1基だけで、ほかの12基は認めた。石渡氏は退任会見で「9基が審査中で、心残りはある」と話す。 能登半島地震が起きた北陸電力志賀2号機(石川県)や、南海トラフ地震の影響が懸念される中部電力浜岡3、4号機(静岡県)などの審査が続く。電力会社や政権からの圧力に屈せず、規制委が独立性を持って判断するのか、さらに厳しい目が注がれることとなる。(荒井六貴) 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。