南米ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領が11日、死去した。家族がX(旧ツイッター)で明らかにした。86歳だった。

 日系人として初めてペルーの大統領に就任後、貧困対策や治安の改善に力を入れ、ハイパーインフレの経済を立て直した。根強い人気がある一方で、議会解散や憲法の一時停止を強行したり、治安回復を理由に人権侵害を繰り返したりした「独裁者」のイメージも強かった。1996年に起きた左翼ゲリラによる日本大使公邸を占拠事件では発生から4カ月後に軍による突入作戦で人質71人を解放した。

 38年7月、ペルーの首都リマ生まれ。両親は熊本県出身で日系2世だった。90年に国立農科大前学長としてペルー大統領選に立候補し、大差で当選。2000年まで務めた。

 ペルーでは1980年代から90年代初頭にかけて、左翼ゲリラの無差別テロが頻繁に発生。約2万5千人が犠牲になったと言われる。フジモリ氏はゲリラへの厳しい鎮圧作戦を展開し、治安を大幅に改善させた。その一方で、軍の秘密部隊が政府に反対する市民らを殺害する事件も発生。フジモリ氏は事件に関与したとして、2009年に禁錮25年の判決を受けて収監された。だが昨年12月、高齢を理由に釈放されていた。

 フジモリ氏は2000年、日本に事実上「亡命」して生活していたが、05年に出国してチリで拘束された。07年に日本の参院選に立候補したが落選し、この年にペルーへ引き渡された。長女のケイコ氏も政治家で、これまでに大統領選で3度敗れている。(軽部理人)

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