長崎県で原爆の「被爆者」と認められずにいる人たちが市と県に、被爆者健康手帳の交付などを求めた裁判。9日の判決で、被爆者と認められたのは原告の一部の人だった。
■爆心地東側の15人を被爆者と認定
被爆体験者訴訟 原告団長岩永千代子さん(88)
「(Q.期待と不安の割合は?)うーん、不安は0.5だね。99.5%は多分…これ以上の証言はない。ないって自負していますね」
長崎市南部に住む、原告団長の岩永千代子さんは9日、17年続く訴訟の判決を迎えた。
1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。 爆心地から同じ12キロ圏内にいながら、国が定める地域の外にいた人たちは「被爆者」ではなく「被爆体験者」とされ、医療費の助成などに差が生じている。原告側の44人の被爆体験者は、市と県に対し、被爆者と認めるよう訴えていた。
しかし、長崎地裁が被爆者と認めたのは、爆心地の東側に位置する、旧矢上村、旧古賀村、旧戸石村にいた15人のみだった。 岩永さん「落胆ですね、落胆。なぜ、東側の人だけ…」
一部勝訴という判決に、原告らは悔しさをにじませる。
原告(旧古賀村) 松田ムツエさん(86)「ありがたいと思う半面、皆さん一緒じゃなかったから残念」 原告(旧古賀村) 松田宗伍さん(90)
「同じ放射線を受けているから、同じ裁判をしてもらったんだから、一様に見てもらいたかった」
判決を分けたのは、放射性物質を含んだ「黒い雨」が降ったかどうか。「灰の影響を受けた」とされる原告側の言い分は、認められなかった。
被爆体験者訴訟 原告代理人中鋪美香弁護士
「黒い雨が降ったというのは放射性降下物が降下した一つの形態でしかない。雨は放射性降下物を含んでいたけど、灰は放射性降下物を含んだ灰かどうか区別がつかないと言っているわけです」 岩永さん
「超高齢者ですけど先生方と死ぬまで戦うつもりです」
(「大下容子ワイド!スクランブル」2024年9月10日放送分より)
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