輸血用の血液を輸送していた自衛隊機が奄美市の山中に墜落し、13人が犠牲になった事故から62年になるのを前に、奄美市で1日慰霊式が行われました。

1962年9月3日、奄美市で輸血用の血液を輸送していた海上自衛隊鹿屋航空基地の哨戒機が「らんかん山」に墜落し、隊員12人と事故に巻き込まれた市民のあわせて13人が犠牲になりました。

3日で事故から62年になるのを前に1日は、奄美市の上空を鹿屋航空基地のP−1哨戒機が慰霊飛行しました。

その後、事故現場近くの小学校で開かれた慰霊式には奄美市や海上自衛隊の関係者らおよそ80人が参列し、花をたむけて犠牲者の霊を慰めていました。

海上自衛隊第一航空群司令・大西哲海将補
「任務を実施するためには安全を担保しなければならない。この記憶を繋いでいかなければならない」

奄美大島青年会議所・沖道成理事長
「離島医療の大変さと自衛隊に対する感謝が奄美群島全体に広がればいいなと思っている」

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