戦後初めて復元され、航空自衛隊の広報施設(浜松市中央区)で展示されてきた旧日本海軍のゼロ戦(零式艦上戦闘機)が移設に伴って約60年ぶりに分解され、愛好家の熱い視線を集めている。作業を担うのは町田市を拠点に活動する「航空機復元協会」のベテランたち。再び復元を終えるまで現地に通い続ける。

 ゼロ戦 正式名称は「零式艦上戦闘機」。第2次世界大戦中の旧日本海軍の主力戦闘機で、当時の航空機として最高レベルの運動性能と航続距離を誇り、約1万機製造された。制式採用された1940年が神武天皇即位紀元(皇紀)2600年にあたり、末尾2桁の0から名付けられた。主な型式は初期の21型と主翼を短くした後期の52型。首都圏では、靖国神社(千代田区)、ユメノバ(茨城県筑西市)が復元機を展示している。米国では飛行可能な機体がある。

分解整備中のゼロ戦。機体後部や主翼が取り外されている=いずれも浜松市中央区のエアーパークで

◆「操縦席が見られるゼロ戦は他にない」

機体後方から内部をのぞくと、操縦かんや計器類を見ることができる

 今月上旬、航空自衛隊浜松基地に隣接する浜松広報館「エアーパーク」を訪れると、展示格納庫の天井からつり下げられていたゼロ戦が、床に置かれていた。主翼やプロペラは取り外され、胴体は操縦席の後ろを境に後部がない状態。後方から機内をのぞき込むと、操縦かんや計器類がきれいに並んでいた。  かつて自衛隊で整備士として活躍した協会の渋谷義夫会長(78)は「操縦席が見られるゼロ戦は他にないと思う。今は貴重な機会」と話す。  今回の分解は施設内の展示場所の移動に伴うもの。周囲に「移設作業中 危険、中に入らないでください」との張り紙があるが、来訪者は危険のない範囲で作業を見ることができる。移設先の展示資料館2階には、胴体後部やプロペラ、尾翼などが復元に向けて既に運ばれていた。

◆終戦・帰還…ぼろぼろだった機体は展示用に修復

既に移設先に運ばれた部品。手前にプロペラ、奥に機体後部が置かれている=渋谷義夫さん提供

 作業が行われているゼロ戦の型式は「52型甲43―188」。1943年製造で、翌44年にグアムに配備された。米軍のグアム奪還の際に廃棄処分になったとみられる。63年4月、グアム国際空港西側で見つかり、64年に日本に移送された。  帰国後、ぼろぼろだった機体は製造元の三菱重工が展示用に修復した。ゼロ戦開発者でアニメ映画のモデルになった堀越二郎さん(1903~82年)が見学に訪れたという記録も残っている。復元後は、全国の自衛隊基地や靖国神社、イベント会場などで巡回展示。浜松基地で80年ごろから保管され、99年のエアーパーク開館に伴って常設展示されるようになった。

◆マニュアルと異なる部品も…60~80代のベテランが整備に汗

分解前、つり下げ展示されていたゼロ戦=渋谷さん提供

機体後部を取り外すメンバー=渋谷さん提供

 今回、協会が作業を請け負ったのは、全国の展示施設で機体の復元などを格安で続けてきた実績から。入札でも相場より大幅に低い額で落札した。メンバーは60~80代で、5月から現地に通う。渋谷さんは「年寄りが趣味で安くやっている」と笑いつつ、「マニュアルとは異なる仕様の部品も使われている。戦後に復元された時、メーカーにも部品が残っていなかったんだろう」と思いをはせる。  協会は当初、7月中に全作業を終える計画だったが、猛暑の影響で遅れているという。「エアコンがない場所もあり、長時間の作業は厳しい。契約は来年3月までとなっているけど、今は9月ぐらいが目標かな」  今後は、展示格納庫に残る操縦席や主翼など大型の部品を重機を使って移動させる予定。航空ファンにとっては、その様子も見逃せないかも。  エアーパークの9月末までの休館日は8月28、29日と9月2、9、17、24、25、30日。問い合わせは電053(472)1121へ。  ◆文と写真・佐久間光紀  ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へメールでお願いします。 

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