万博記念公園内にある「平和の鐘」をつく高瀬聖子さん(大阪府吹田市)

大阪府吹田市の万博記念公園には「平和」と名付けられた施設が2つある。「平和の鐘」と「平和のバラ園」だ。ともに1970年の大阪万博当時、世界平和を願う各国の人々の願いからつくられた。戦後80年の2025年に開かれる大阪・関西万博を前に、2つの施設ができ今日まで伝えられてきた経緯と、人々の思いを振り返りたい。

平和の鐘は世界のコインなどを使って鋳造され、「世界絶対平和萬歳」という文字が刻まれている。製作を主導したのは、財団法人日本国際連合協会の理事を務めていた中川千代治氏(元愛媛県宇和島市長)だ。

万博記念公園内にある「平和の鐘」(大阪府吹田市)

中川氏は1951年に出席した国連総会で「平和を願う世界の人々から集めたコインで鐘を造りたい」と訴えた。趣旨に賛同した65カ国の代表者や日本の市民から寄贈された硬貨などを使って日本で鐘を製作し、54年、ニューヨークの国連本部に寄贈した。国連ではこの鐘をつく行事が今も行われている。

大阪万博に国連のパビリオンができることになり、国連本部の平和の鐘は万博期間中、日本に里帰りし、国連館横に設置された。鐘が〝留守〟になる国連本部のために新たに世界の硬貨を使った鐘が日本で製作され、国連本部に運ばれた。万博終了後、国連館の鐘は米国に戻り、新造された鐘は逆に日本に運ばれ、万博跡地の記念公園に設置されるという経緯をたどった。

国連平和の鐘を守る会は、小さな鐘をつくり紛争当事国などに贈っている

中川氏の六女の高瀬聖子さんは2013年、国連平和の鐘を守る会を設立し、平和を訴える活動をしている。「鐘が製作された経緯や趣旨を正しく伝えていきたい」と思いを語る。17年から毎年秋に万博記念公園の鐘をつく行事を続けているほか、会員から寄せられた世界の硬貨を使って小さな鐘をつくり、紛争当事国などに贈っている。

平和のバラ園は万博開催時にカナダや英米仏など海外8カ国と日本国内から平和を願って贈られた苗木が出発点になっている。大阪の前の万博開催地だったカナダ・モントリオールでバラ園が設けられたため、同地のロータリークラブから大阪万博の事務局に打診があり、地元大阪のロータリークラブが協力、各国の関係者に呼び掛けて大きなバラ園づくりが実現した。

万博記念公園内にある「平和のバラ園」(大阪府吹田市)

「万博終了後も同じ場所で栽培を続け、19年にはレガシーのバラと最新のバラを組み合わせたリニューアルを行った」(日本万国博覧会記念公園事務所)。現在は250種、約2400株のバラが咲き誇る。

大阪万博は東西冷戦や核戦争、ベトナム戦争激化への懸念が広がる時期に企画準備が進んだ。世界の人々が集う万博は平和の祭典であり、多くの人に平和の大切さを訴える機会になる。

「現在も戦争はなくなっていない。来年の万博で国連館に小さな鐘を設置し、来場者についていただけたら」。高瀬さんはそんな期待を持っている。

(堀田昇吾)

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