大雨からきょう(15日)で3週間、集落全体が浸水した戸沢村蔵岡地区では今も復旧作業が続いている。この3週間のあいだに、「この地に住み続けたい」という住民の気持ちにも変化が生まれていた。

記録的な大雨で甚大な被害があった戸沢村蔵岡地区。
集落のそばを流れる最上川がはん濫し、一帯が水に浸かった。

(7月27日・リポート)
「足元は道路ですが、重い泥が溜まっていて歩くのも困難な状態です」

あらゆるものが泥にまみれた集落は、ボランティアの助けも得ながら復旧作業が進められてきた。

(8月15日・リポート)
「大雨から3週間が経ち集落を覆っていた茶色い泥はなくなり、家の前に出されていた家財道具などは減ったように見えます。しかし今もまだ住民・家族・友人・ボランティアの力を借りながら復旧作業が続けられています」

蔵岡地区をきょう訪れると、水に浸かった家財道具は少なくなったところもある一方で、まだ残されたままの家もあった。
蔵岡地区で農業を営む中村健一さんも、友人の力を借り、これまで手つかずだった作業小屋の片付けを始めていた。

(蔵岡地区の住民・中村健一さん)
「こっちはだめだね」

手伝いに来てくれた友人と一緒に、泥をかぶった農業機械を運び出していた。

(中村健一さん)
「1年しか使わなかった。アスパラの機械」

中村さんの自宅は一階部分がすべて浸水。
たび重なる浸水被害に集落を出る決断をする住民もいる中、中村さんは蔵岡に残ると決めていた。

(7月27日の中村健一さん)
「生まれてずっとここで育ったので、死ぬまでここでやっていければと。それは変わらないです」

3週間が経ち、中村さんの住宅は水に浸かった畳などがすでになくなっていた。

(中村健一さん)
「息子の友達が手伝いに来てくれて、全部畳を出してもらった。泥だらけで足も踏み入れられなかったが、泥出ししてもらったり、さまざまな人が恩を返せないくらいのことをしてもらった」

少しずつ片付いてきているようにも見えるが、床下の泥は今も片づけられず残ったまま。なんとか前に進もうと毎日心を奮い立たせて来たが、肉体的にも精神的にも疲れはピーク…。
この3週間で、中村さんの気持ちに変化が生まれていた。

(中村健一さん)
「『誰が見ても限界だろう』と言われた。諦めた。片付けながらこれは無理だと」

(中村健一さん)
「家族全員で墓に行って、仏様に手を合わせるときに『家は守れない』と謝った」

当初は「ここに残る」と決めていた中村さん。しかし周りの人の「集団移転すべき」との声を聞くうちに、集落を出る決意を固めたという。

(中村健一さん)
「一人になっても蔵岡地区に住むという話をしたが、時を経て地域の人と話をして、住民の総意がそうであれば、9割以上がそうであれば、反対しないで」

それでも、農業だけはここで続けていく。蔵岡地区を出た人と、この地域との架け橋となるためだ。

(中村健一さん)
「みんなの農地も借りながらやっているので、自分がここで農家をやることによって地主さんに手伝ってもらいながら、地域との交流など何かしらやっていきたいと思っている。ちょっと心変わりはした。でも地元を捨てる気はない」

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