<平和の俳句2024>

夏雲や甘藷(いも)茎の熱(いき)れ掃射避(さ)く
  青山博一(89) 埼玉県幸手市

 「バリバリという音が響く中、必死に畑に飛び込んだ」。青山さんは台湾の国民学校に通っていた1944年秋、友人たちと歩いて下校途中、米軍のグラマン戦闘機の機銃掃射を受け、とっさに道路脇のサツマイモ畑に伏せた。

戦時中の台湾での体験を語る青山博一さん=埼玉県幸手市で

 戦闘機は飛び去り、空には夏を思わせる白い雲が浮かんでいた。当時9歳。自身も友人も無事だったが、その時のむっとした畑の臭いを今も思い出す。

◆「戦争は答えの出ない殺し合い」

 戦時中、父の仕事の関係で台湾北部の樹林(シューリン)で暮らした。汽車で1駅隣の板橋(バンチャオ)にある国民学校に通った。米軍による台湾への空襲が始まったのは44年。空襲警報が発令されると授業は切り上げられ、汽車を使わず歩いて帰宅した。機銃掃射があったのも、空襲警報が出された日だった。  他にも2度、機銃掃射に見舞われた。45年春には、自宅近くの防空壕(ごう)に避難しようとしたところ、数十メートル先に爆弾が落ちた。偶然、間にあった塀で破片が遮られ、家族は命拾いした。  今も続くロシアのウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザでの戦闘に、自身の経験を重ねる。「戦争は答えの出ない殺し合い。この世からなくさねばならない」(服部展和)  ◇  ◇  若者を兵器にする人間魚雷が保管された洞穴、空襲で犠牲になった友の家にあったサルスベリ…。今も残る場所や草木が、戦争を経験した人たちにいや応なく「あの日」を思い起こさせてきた。東京新聞が8月中に掲載している、読者が詠んだ「平和の俳句」。ウクライナやパレスチナ自治区ガザなどで今も戦火がやまぬ中、つづられた「平和の俳句」には、悲しみ、怒り、不戦への願いが宿っている。 

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