一つの爆弾が瞬時に街を壊滅させ、多くの命を奪った。広島は6日、79回目の「原爆の日」を迎えた。国際情勢が緊迫化し「核の脅威」は現実の危機として存在する。被爆者が高齢化するなか、唯一の被爆国が惨禍の記憶をつなぐ使命は重みを増している。
焦土と化した広島の街、死者14万人に
1945年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」が広島の街にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。市中心部の広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)付近の上空約600メートルでさく裂し、強烈な熱戦や爆風、放射線に襲われた一帯は焦土となった。
核兵器の実戦使用は人類史上初めて。放射線の急性障害がほぼ収まった同年12月末までに約14万人が亡くなったと推計される。
8月9日午前11時2分にはプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」が長崎に投下された。1950年7月時点の報告では7万3884人が死亡し、7万4909人が重軽傷を負った。
年月を経て白血病やがんで亡くなる人が相次ぎ、重いやけどの痕が残る人もいた。親族、知人らの命を奪い、生活基盤を徹底的に壊した原爆は、生き残った人のその後に暗い影を落とし続けている。
進まぬ核軍縮 アジア圏で際立つ増加
長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA、レクナ)の推計では、実戦で使用できる「現役核弾頭」は6月時点で9カ国の9583発。米国とロシアの新戦略兵器削減条約(新START)が履行期限を迎えた2018年以降で332発増えた。特に中国などアジア各国の増加が目立つ。
核軍縮を巡っては、核兵器の保有、使用を禁じる核兵器禁止条約が21年1月に発効したが、米国の「核の傘」に依存する日本は参加していない。
平均年齢85歳 被爆者はピーク時の3割弱に
高齢化に伴い被爆者は年々減っている。被爆者健康手帳を持つ人は1980年度末の37万2264人をピークに減少し、2023年度末で10万6825人。平均年齢は85.58歳に達する。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)によると、こうした現状から11県の被爆者団体が解散や活動休止をした。各団体は被爆2、3世の参加を促すなどして活動継続を模索している。
被爆の実相 記憶のバトンをつなぐ
原爆投下の記憶を伝える広島市の「被爆体験証言者」もピーク時から3割強減っており、現在は32人が活動する。その中には、今年度から惨禍を伝え始めた人もいる。
爆心地から約2キロの自宅にいた才木幹夫さん(92)は命をつないだ負い目から、周囲に体験を語ることなく過ごしてきた。考えを変えたきっかけはロシアのウクライナ侵略。「いま伝えなければ、あの惨劇が繰り返されてしまう」との思いから核廃絶を訴え、被爆の実相を伝えている。
広島大学大学院の梶川琴音さん(24)は同市が今年度から始めた研修会「ピースアカデミー」に参加し、原爆がもたらした被害を広く伝えるアイデアなどを学生らと議論した。「証言者の講話を聞き、被爆後の苦難を乗り越えた経験に心を打たれた。記憶を継承し、広島から被爆の実相を発信する方法を考えていきたい」と話す。
79年前、被爆地にいた人が減りゆくなか、記憶のバトンをつなぐ次代が育ちつつある。
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(桜田優樹、結城立浩、松冨千紘、三宅亮、浅野ジーノ、野呂清夏、中田みなみ)
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