日本初のビアホールが銀座に開店
1899(明治32)年 日本初のビアホール「恵比寿ビヤホール」が銀座の新橋際(現銀座八丁目)で、れんが造り2階建ての建物の2階115平方メートルを間借りして開業。1日の来客数は平均800人と繁盛し、遠くから馬車でやってくる人もいたという。
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その他の出来事
秀吉、小田原城落とし天下統一果たす
1590年(旧暦:天正18年7月5日) 北条氏直が豊臣秀吉に降伏し、小田原城が開城。秀吉の天下統一が完成した。上杉謙信、武田信玄をも退けた難攻不落の堅城として知られたが、秀吉は攻撃・包囲の前線基地「一夜城」を構築。関東各地の北条氏の支城を攻め落とし、小田原勢を孤立させたうえで激しい攻城戦の末に降伏させた。
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五輪サッカーで強豪破る「ベルリンの奇跡」
1936(昭和11)年 ベルリン五輪のサッカー競技で、初出場で学生中心に編成された日本代表が1回戦で強豪スウェーデン代表に勝利した。2点を先制された後、3得点での逆転勝利。世界中のサッカー関係者やファンから「美しく正々堂々とした戦いだった」と称賛され、「ベルリンの奇跡」として、後世に語り継がれた。
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学童疎開第1陣、上野から出発
1944(昭和19)年 学童集団疎開の第1陣として、東京・練馬区の小学校など5校の児童が、本土空襲の本格化に備え群馬県などの疎開先に向け上野駅を出発した。「疎開」は戦況に応じて隊形の距離・間隔を開くの意の軍事用語。「軍事作戦の一つであり、逃げるのではない」と取りつくろうために「退避」「避難」に換えて使った。
古賀政男に2人目の国民栄誉賞
1978(昭和53)年 作曲家の古賀政男(1904~1978)に国民栄誉賞が没後追贈された。首相官邸で福田赳夫首相から長男に賞状などが手渡された。プロ野球の王貞治に次いで2番目の同賞受賞者。
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「寅さん」渥美清が死去
1996(平成8)年 俳優渥美清(本名・田所康雄)が死去。68歳。山田洋次監督らの「男はつらいよ」全48本(山田監督以外の2本含む)で主役の「車寅次郎」を演じ、世界一の長編シリーズとしてギネス認定された。同年9月3日に国民栄誉賞を没後追贈された。
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東京五輪 開が12歳11カ月で日本最年少のメダリストに
2021(令和3)年 東京五輪のスケートボード女子パークで、四十住さくらが金、開心那が銀に輝いた。開は12歳11カ月で日本五輪最年少メダリストとなった。
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