この式典は東京都と都内在住の被爆者でつくる「東友会」が毎年開いているもので、東京 葛飾区の会場には被爆者や遺族などおよそ120人が参列しました。
この中で、東友会の家島昌志 代表理事が追悼のことばを述べ「高齢化が進む被爆者に残された時間はなく、核兵器の廃絶と亡くなった原爆犠牲者が国の償いを受ける運動が結実しなければ私たちは死んでも死にきれない」などと訴えました。
このあと、犠牲者の名前が一人一人読み上げられ、参列した人たちは花を手向けて静かに手を合わせていました。
式典では1歳のときに広島で被爆した木村一茂さんが証言に立ち、自宅が倒壊して山の上に避難したことや、原爆投下直後に降ったいわゆる「黒い雨」を浴びた弟がその後亡くなったことなど、両親から伝え聞いた被爆体験を語りました。
そして「両親は私に原爆による悲惨な状況を覚えていてほしかったのだと思う。孫たちの時代には核兵器のない世界になっていてほしい」と話しました。
東京では、この1年で354人の被爆者が亡くなり、都内在住の被爆者はことし3月末時点で3557人と、最も多かったときのおよそ3分の1となっています。
11歳のときに広島で被爆した90歳の女性は、式典のあと「毎年参列していますが、被爆者の方々が少なくなっていると感じます。これからは若い世代の人たちに、被爆の記憶を伝えていってもらいたいです」と話していました。
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