「やっとここまで来た」 17日に実現した原告らと岸田文雄首相との面会では、繰り返し頭を下げる首相の姿を目にして涙ぐむ姿も見られた。国の謝罪と補償を求める訴訟が広がってからすでに6年が過ぎ、この間に亡くなった仲間もいる。「遅すぎる」。長年、人権を踏みにじられてきた原告らは、早急な救済を求める声を上げ続ける。
◆「妻は亡くなっており、残念でつらい」
旧優生保護法を憲法違反とし国の賠償責任を認めた最高裁判決を受け、原告らと面会を終えて一礼する岸田首相(右手前)=佐藤哲紀撮影
「なぜもっと早く謝罪することができなかったのですか」。声を張り上げたのは、16歳の時に手術を受けた仙台訴訟原告の飯塚淳子さん=仮名、70代。1997年から市民団体とともに国に謝罪を求めてきた。両手で握手してきた首相には「新たに被害の名乗りを上げる人のための補償を」と強く求めた。 兵庫訴訟原告で妻が不妊手術を受けた聴覚障害者の小林宝二さん(92)も手話通訳者を介し「謝罪が遅すぎた。妻は亡くなっており、残念でつらい」と伝えた。差別に苦しんできたこれまでを振り返り、「国の責任で差別のない社会をつくって」と訴えた。◆「やっと国に向き合ってもらえた」
旧優生保護法を憲法違反とし国の賠償責任を認めた最高裁判決を受け、原告らと面会し謝罪する岸田首相(左)=佐藤哲紀撮影
「皆さんの苦難と苦痛に対し、深く深く謝罪申し上げます」。ゆっくりとした口調で語りかける岸田首相。約1時間40分に及んだ面会では、各地の訴訟の19人の原告や代理人弁護士が、手術で受けた苦難や早期の救済を訴えた。首相は謝罪の言葉を繰り返し、そのたびに深々と頭を下げた。 東京訴訟の原告・北三郎さん(81)=仮名=は、首相の言葉に思わず目頭を押さえた。2018年の提訴から一貫して国の謝罪を求めてきて、「やっと国に向き合ってもらえた」との思いがこみ上げたという。14歳の時に手術を強制され、妻と死別するまで誰にもその事実を明かせなかった北さん。「67年間、本当につらかった」 被害者は2万5000人いるとされるが、強制不妊手術を巡っては、全国12の地裁・支部で提訴しているのは39人のみ。声を上げられずにいる高齢の被害者は多い。原告の一人は「できるだけ早く一人でも多くの被害が認められ、救済が受けられることをかなえてほしい」と首相に求めた。岸田首相(右)と握手を交わす原告ら=佐藤哲紀撮影
全国被害弁護団共同代表の新里宏二弁護士は面会後、「政治判断の遅れと国の無益な抵抗で、この間に原告6人が亡くなった」と指摘した。その上で「長い闘いの到達点にやっと来たという思いだが、和解を進めるための基本合意、補償の立法を急がないとならない。声を上げられない被害者のためにも、今日は再出発の日になる」と力を込めた。(太田理英子) 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。