満を持して臨む初の五輪
卓球日本女子のエース・早田は、同じ2000年生まれの伊藤美誠(みま)や平野美宇(みう)らとともに「黄金世代」と呼ばれ、卓球界をけん引してきた。だが五輪出場経験は無く、リオや東京では、伊藤、平野が戦うのを眺めてきた。遅れてきたヒロインとして、この夏、パリで初の夢舞台に立つ。
リザーブ選手だった21年の東京五輪では、悔しさを断ち切り、練習パートナーや球拾いなどサポート役に徹した。試合では客席から声が出なくなるほどエールを送り続け、親友・伊藤が水谷隼(じゅん)との混合ダブルスで金メダルを取ったときは自分のことのように泣いて喜んだ。
メダルを獲得した仲間たちを心から祝福しながらも、胸の内には当然、次のパリへの思いがあった。東京の大舞台を間近で見て、最後に勝ち切る選手は心技体全てが究極の状態にあると体験したことは大きな収穫となった。そして3年後のパリで頂点に立つことを見据え、一心不乱に強化に取り組んできた。
21年のアジア選手権(カタール・ドーハ)では団体、女子シングルス、混合ダブルスの3冠を達成。パリ五輪代表選考は2年間の対象試合のポイントを積み上げ、上位2人がシングルス代表に選出される方式。早田は22年3月に始まったこの選考レースで首位を独走し、圧倒的な強さを見せ続け不動のエースへと成長を遂げた。
2024年1月の2024年1月の全日本選手権で優勝した早田(左)。大会2位でパリ五輪に出場する張本美和(右)と記念撮影=東京体育館(共同)
44年ぶりの中国勢撃破
目標は五輪で金メダルを取れるような、誰もが認める選手になることだ。そのためには卓球大国・中国の精鋭たちを倒さなければならない。
サウスポーから繰り出す強烈なドライブに磨きをかけ、攻撃の組み立てでも幅を広げた。さらにバックハンドの強化、サービスも工夫し、入念な中国対策を行ってきた。
2023年5月の世界選手権(南アフリカ・ダーバン)では、女子シングルス準々決勝で当時世界ランキング3位の王芸迪(ワン・イーディ)を撃破した。9度マッチポイントを握られながらも耐え続けた死闘の末の勝利。世界選手権シングルスで日本選手が中国選手に勝ったのは実に44年ぶり。歴史的な快挙だった。
世界ランキング上位に名を連ねる中国選手との戦いで、早田は常に「これを超えてもまだいるのか」と、その厚い壁を実感してきた。だからこそ「中国を超えるために頑張ってきた。この舞台で勝つことができてうれしい」と喜んだ。そして、「今までやってきたことは間違っていなかった」と確認できたことが大きな自信となった。
実はこの試合、得意のドライブでポイントが取れずに苦しい展開を強いられていた。そこで、強烈なバックハンドによる積極的な攻めを織り交ぜる戦略に転換。最終第7ゲームでマッチポイントを迎えた後にも強烈なバックハンドを決め、21-19で死闘を制した。試合中も変化を恐れなかった早田の柔軟な対応が勝利へとつながった。
3種目で挑むパリ五輪
今年2月の世界選手権(韓国・釜山)の団体戦で、日本は中国に2‐3で敗れ銀メダルに終わったものの、先に王手をかけるなど決勝で中国をあと一歩まで追い詰めた。
この試合で早田は東京五輪金メダリストの陳夢(チェン・ムン)と対戦。過去7戦全敗だった相手から初勝利を挙げた。オールラウンダーで決定力も兼ね備える相手に対し、「(自分が)好きなようにプレーしては勝てない」と、陳が予測できないボールを打つなど変則的なプレーを心掛けた。「相手が一瞬ひるんで次の反応が遅れる」と陳夢に強打させず、勝利をもぎとった。
「今までで一番、中国を苦しめたと思う」
世界選手権団体戦決勝で初めて中国の陳夢を破り、喜びの表情を見せる早田=2024年2月24日、韓国・釜山(ロイター)
団体戦第4試合の孫穎莎(スン・インシャ)とのエース対決には敗れ、「力不足を感じた」と地力の差を痛感しながらも、パリに向け攻略のヒントをつかんだ。
中国メディアは日本への警戒を強めている。日本のエースに関し「中国女子卓球における次なる最大の敵は、明らかに早田ひなだ」と評し、「もはや侮ることなどできない」と危機感を募らせる。
パリ五輪では女子シングルス、男子エースの張本智和と組む混合ダブルス、女子団体戦の3種目への出場が予定されている。
いまだ中国の壁は高く、金メダルを取ることは決して簡単ではない。それでも早田が見据えるのは頂点のみ。遅れてきた黄金世代の新ヒロインは初の夢舞台までさらに進化し続ける。
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