新紙幣の発行が始まった3日、福島県内の銀行にも新紙幣への両替を求めて多くの人が集まった。新1万円札の渋沢栄一ゆかりの地では、喜びの声が上がった。一方、20年にわたり千円札の「顔」だった野口英世(猪苗代町出身)は交代となり、「寂しい」との声も聞かれた。
福島市大町の東邦銀行本店営業部では、3日午前11時から新紙幣への両替が始まり、多くの人が詰めかけた。一番乗りで新紙幣を受け取ったのは福島市のパート従業員吉田裕美子さん(70)。「今度からこの紙幣に代わるんだと実感しました」と、受け取った3種類の新紙幣を見つめながら話した。一方で、「野口英世の千円札に愛着があったので、寂しい……」とも漏らし、一番乗りで両替した紙幣は「記念に保管しておこうと思います」と話した。
2004年以来20年ぶりの新紙幣となる1万円札は渋沢、5千円札には津田梅子、千円札には北里柴三郎が描かれている。
「日本の資本主義の父」と呼ばれる渋沢は埼玉県深谷市出身だが、福島県ともゆかりが深い。岩越鉄道(現・磐越西線)の創業に関わったほか、1884年に開かれた「磐城炭礦」の設立発起人の一人で会長を務めたこともあった。磐城炭礦はその後、常磐炭礦、そして現在の常磐興産へと引き継がれている。
渋沢が創建に携わった白河市の南湖神社は新1万円札発行を記念し、渋沢をあしらった2種類の記念御朱印の頒布を3日から始めた。授与所が開く午前9時前から十数人が列をつくり、商売繁盛や金運の御利益もあるという限定の御朱印を次々に買い求めていた。
塙町の戸井田茂美さん(77)は、午前7時から並び一番乗りで御朱印を受け取った。「会津ゆかりの野口英世が千円札でなくなるのはさみしいが、白河ゆかりの渋沢先生が1万円札になったのはうれしい。これからたくさん会いたいね」とうれしそうに話した。
松平定信公は白河藩主時代に先進的な社会福祉政策を実施し、大飢饉(ききん)のさなかでも領民を飢えさせなかった名君として知られる。渋沢はそんな定信公を模範として明治の近代化に携わった。1922年の定信公をまつる神社創建の際も多額の私財を投じるなど尽力したことが縁で、同神社は渋沢を顕彰している。
中目公英宮司は「新1万円札の発行を機に、渋沢栄一の精神が全国に広まってほしい。白河にも大勢の方に来ていただきたい」と話した。
日本銀行福島支店によると、この日は千円、5千円、1万円の3券種計約170億円が支店から金融機関に引き渡されたという。
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福島県は3日、最後に製造された野口英世の肖像の千円札5枚のうち1枚が日本銀行から県に贈呈されたと発表した。今後、県立博物館(会津若松市)で展示する予定。最後の製造番号の紙幣は公益財団法人・野口英世記念会に贈呈される。(斎藤徹、滝口信之、西堀岳路)
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