能登半島地震から1日で、半年となりました。被災地では今も断水が続いている地域や、ビニールハウスの中で生活を続ける人たちがいます。
■半年続く…ビニールハウス生活
今年1月1日午後4時10分、最大震度7を観測する大きな地震が元日の能登半島を襲いました。これまでに亡くなった人の数は、299人に上ります。あの震災から、1日で半年。何が変わって、何が変わらないのか。この週末、被災地の「今」を取材しました。
輪島市では、いまだ「住まいの問題」を解消できていない人たちがいました。 保靖夫さん(70)「(Q.今、何をされていたんですか?)これ水。便所を流すために」
保さんが避難生活を送っているのは、農業用のビニールハウスです。
保さん「もう家が完全に倒壊なので。この近辺、後ろもずっと倒壊して。当初は30人くらい、ここに1日の晩から。屋根のある家は、ここしか残ってなかったっていうかね」
今は保さん家族を含め、3世帯7人がビニールハウスで生活しています。
保さん「当初は、子どもも4人いたんだけど。みんなで話し合って、そして、無理やり例えば子どもたちも避難所へ行ったとしてもストレスになるだろうしね。そういうので、ここにとどまっていたって感じですよね」
そのまま半年もの間、この場所で避難生活を続けています。
保さん「(Q.地震の当初(ハウス内は)畑になっていた?)向こうの一列にブロッコリー植えてあったんですよ。ブロッコリーがまだなっていたので、それをつまんでは…」
「(Q.食料にして?)食料にしたりしてね」
支援物資のレトルト食品や収穫した野菜など、食べ物で困ることは少なかったといいます。
冬の間は、どのように過ごしてきたのでしょうか。 保さん「一番最初はブルーシート敷いて、あとは各家から持ち寄った布団とか毛布とか。最初は、ちょっとつらかったですよね」
寒さは、ストーブでしのぎました。
保さん「凍えない程度に、暖は取れたっていう感じで」 一方で、これからの季節に心配されることがあります。 保さん
「(温度計は)見た通り、ちょうど30℃ですよね」
「(Q.本当だ、30℃ですよ)そうそう」
夏の暑さの問題です。
保さん「これから蒸し暑くなると、寒い時より悪いんじゃないかなと思うんですよね」 夜は、無償で提供された簡易住宅で床につきます。 保さん
「これは自分らでやったんだけど、段ボールベッドでね。快適ですよ、暑さ的にも大丈夫だし」 一方で、1月から希望している仮設住宅への入居は、まだ決まっていません。 保さん
「輪島市からは、『仮設(住宅)は、いつごろにできます』とか、『どこそこに建っている所になります』ということを一切、言ってこないので。やっぱり仮設(住宅)が当たるまでは、どうにもならないって感じですよね」
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■家屋倒壊…断水も「寒くなる前に復旧を」■家屋倒壊…断水も「寒くなる前に復旧を」
1月に撮影された珠洲市の映像です。地震に加え、津波による被害も受けました。あれから半年、街の様子はどうなったのでしょうか。 元日から時が止まっているような光景が広がっていました。市内では、「水の問題」が続く場所もあります。 珠洲・片岩町 川端昇区長「水道施設が被災していますので、こちらの方は、断水状態になっています」
14世帯25人が生活を送るこの地区では先月26日、ようやく給水タンクに生活用水が入りました。ただ、水道復旧のメドは立っていないといいます。
川端区長「寒くなる前、少なくとも11月ぐらいには復旧してほしいなと」
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■かき養殖再開「感謝で生きたい」■かき養殖再開「感謝で生きたい」
それでも復旧・復興に向け、一歩一歩前に進んでいる被災地。穴水町の海沿いでかきの養殖業を営む、馬道百合子さん(82)。今年1月、馬道さんを取材していました。 馬道さん「これが船。桟橋も、ガタンと津波で。こんなふうに落ちたんよ、津波の仕事」
桟橋が崩壊し、海に出られない状況でした。
馬道さん「大変なことを乗り越えて、頑張らにゃと思って眺めてるわけや。諦めない」 養殖再開への思いを語っていた馬道さん。あれから半年、馬道さんの桟橋は直っていませんが、同業者のものを借りて、養殖を再開していました。エンジンをかけ、海へ出発です。 馬道さん
「今ここ行くとね、これが私のイカダ。ここに(かきが)入ってるの」
そして、大きなかきが、豊かな能登の海から姿を現しました。
馬道さん「これこれ、こういうふうに。こんなふうになっとるんですよ」 ここまで成長するには、2年かかるといいます。養殖を再開した馬道さんの今の思いは? 馬道さん
「地震を通じてね、すごく身に染みて日ごろのありがたさが倍増して。やっぱり、ありがたいなあ…。本当に、ただおることが本当にありがたいと思ってね。来る日も来る日も、そんなこと思い返してね」
「(Q.仕事している方が楽しい?)やっぱり張り合いがあるし、電話の向こうのお客さんの顔が浮かばれて、その思いに引かされて。それで、こちらも体が動いてくれるんですね」 「あと3年は養殖の仕事を続けたい」と話す馬道さん。今後については、こう話します。 馬道さん
「新たな一日が始まるが、それを味わいながら感謝、感謝で生きたいなと思っています。よく考えても考えても、それしかないわ」
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■和菓子店の社長「激動の半年」■和菓子店の社長「激動の半年」
大規模な火災が発生した輪島市の朝市通り。重機を使った撤去作業が行われ、焼け落ちたがれきも徐々に少なくなっていました。 その朝市通りのすぐ近くにある和菓子店では…。 柚餅子総本家中浦屋 中浦政克社長「激動の半年ですね。半年前のことが、数年前のことに思えたり」
中浦社長が、お正月のために用意した和菓子を避難所などに無料で配布する様子です。製造工場も大きな被害を受け、当時は営業再開のメドは立っていませんでした。
中浦社長「自分たちが作ったお菓子なので、お菓子も可愛いわけですよ。だから、おいしいうちに誰かに食べてもらってほしいなって。そういうつもりで、お配りをさせていただきました」 朝市通りにあった店舗は全焼しましたが、一部の店舗で「輪島プリン」などの人気商品の販売を再開しています。 中浦社長
「定食屋さんをお菓子の工房に作り替えたと」 さらに、飲食店の跡地を改装した工房は、今月中に稼働を始める予定です。
(「羽鳥慎一 モーニングショー」2024年7月1日放送分より)
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能登半島地震特集
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